弥太郎、長崎で最初の反省
安政六年十二月二十一日 右目の痛みで読書ができなかったところ、「川村(近見)氏が二宮(如山)よりさし薬と下剤を二服取って来てくれ、晩方に至って目が少し快くなった」今井、川村に防州から来た医学生も加わって酒盛り。詩吟や歌で盛り上がりました。これも「旅の楽しみだ」
明かりを灯したまま眠り、防州人と同席したせいか「頻りに(徳山藩の)本城清の夢を見た」真夜中、「失火だ」と叫ぶ声がし「起きて見ると火焔が非常に遠かったのでまた寝た」日記の最後に、午前、下許が公遊帳(長崎出張の帳簿)を出して来て出費の精算をした、午後、竹内静渓から「余の袴を借りたいと言ってきたので借し与えた」と追記しています。
二十二日・二十三日 二十二日、読書後に下許と町を徘徊、酒を飲み「古の英雄」の話をして「愉快」。二十三日、隅田(敬治)が豊後にいる岡林常之助に出す手紙に即興で漢詩を作って添えました。午後、静渓が袴を返しに来て、「関東金川(神奈川)で火事があり、イギリスやオランダの商館が焼失した」との話。入港中のイギリス軍艦の見物に行く約束をしました。
二十四日 夜中に寝たものの、間もなく宿の「奴卑数人」が餅をつき出し、真っ暗な大根屋は「騒然」とします。下許や同宿者が階下に下り、声を出して餅つきの加勢をしました。弥太郎も「腹ごなしに餅をついた」夜明けに餅つきは終わり、宿の主人が酒肴を用意してくれて、弥太郎はすっかり酔いました。
同宿者一同で外出、酔いすぎて目的の「七面観音」に到着せず帰宿、一旦寝ました。今井(純正)らと酒場に行く約束をしていたものの、風呂や食事でゆっくりしていると、先に酒場に行った連中が立腹していると今井から聞かされます。何も言わずに約束に遅れるのは小人物だ、と。言われっぱなしは不快なので、今井と酒場に行きます。
弥太郎は酒場に行くと、(弥太郎を小人物と評した)川村近見氏を誘って梅園楼に行きます。最初はおとなしくしていたものの、妓娼が来ると大酒を飲んでしまい、今井との談話の中で「川村は馬鹿冶郎だ」と口走りました。川村が聞きとがめて出て来ます。「馬鹿冶郎の詳細を承りたい」と川村。「戯れに談じただけで悪意はありません」と弥太郎。「ならば、その馬鹿冶郎の仔細を説明しなさい」川村は大声をあげました。
弥太郎は、今夕のことはまた明日に、と言って下許、今井と宿に帰りました。着くと真夜中に近い時間、「今井と心事を談じてから臥した」弥太郎は反省します(長崎での弥太郎の反省の第一回でしかないわけですが)。
国元を出る時、父からきっと酒を抑えろと言われていたのに、今夜のような挙動は不安で仕方ない。今回の旅はこれまでの書生の旅とは違い、なおさら善い交際をしなくてはならないはずなのに、妓楼で大酔したことは言語道断だ。弥太郎よ、これまでの艱苦をすっかり忘却したのか……夜明け、雨音が枕元に響いた。今日の会計は壱円壱分なり。
二十五日 「細雨。早起きしてまず川村に向かい昨夕の失礼の段を謝った」「馬鹿冶郎」は戯れの言葉だった、との釈明を受け入れてくれたようでしたが、弥太郎が昨日全員分の支払いをしたことは「お気の毒」だから、こちらも払うと川村は言い張ります。怒っていて、おごられたくないのだと察した弥太郎は、黙って座り動きません。やがて川村が、わだかまりを解こうと掌を打ち、弥太郎もそれにならって落着となりました。弥太郎は、昨日の支払いの分を下許に返済しました(公金を使ったので自らの所持金から補填した)。
この日、下許から久松氏に引き合わせてくれた静渓と酒席を持ちたいと提案され、禁酒を誓ったと弥太郎は返答しました。が、今後を考えて下許を誘って酒場へ行くと、そばに女性がいて酒が進み、愉快になって殆ど女性を誘いたい気分になりましたが、「断然(邪な)心を制し下許君と相伴って泥道を歩んで帰った」。弥太郎は宿で隅田と川村を呼び、お互いに分け隔ての心がないことを確かめ、一緒に酒を飲みました。この日、宿の僕みよ蔵に懇願され、下許から黙って一分を借りて、そのまま渡したと記しています。
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