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弥太郎、花月楼で下横目を接待
三月十日~十二日 弥太郎は、土佐から調査に来た下横目(下級警吏)を懐柔しようとしたのか、妓楼に誘って宴席を持ちました。土佐藩重役へ書簡を出そうともしています。
十日 朝、通詞の鄭宇十郎が来訪し、清人の林雲逵と会を持ちたいと言うので、弥太郎が雲逵を誘いに行ったところ、明日にしてもらいたいとの返答。鄭と上司の下許武兵衛が待つ茶屋に着くと酒宴が始まっており、下許はすでに酔っていましたが、一緒に寓舎に帰りました。
昼飯後、中沢寅太郎を宿舎に尋ねたものの気分がすぐれない様子。同じ宿舎にいる下横目の生野泰吉を「ちょっと出かけよう」と誘うと、早速外出することに。思案橋を渡って待合楼という茶屋に行き、酒を飲んで、こんな提案をしました。
「花月楼の鶴枕を見物してみないか、紹介するよ」と見物を口実に遊女屋に誘ったところ、泰吉は今の役柄からしてすぐには返事できないようだったので、「このことは決して他へ口外する心配はない」と指を(脇差しの小刀で?)刺し、「血をもって本気だと表明したので、泰吉もすぐさま心得て(二人で)楼から降りた」
花月楼では、馴染みの老婦から鶴枕見物は明日にしてくれと言わます。無理強いはせず、歌妓を三人呼んでの宴席となました。歌舞や指相撲で酒が進み、泰吉も「余程帯酔」し、真夜中に泰吉と一緒に楼を出ました。雨と泥濘の道を大工町まで送った後、弥太郎は花月楼に戻って遊女と同衾、夜が明けてから寓舎に帰りました。
「鶴枕」は遊女屋の本拠地のような花月楼に行くための口実、あるいは符帳のようなものなのでしょう(下の2月27日の日記参照)。「警察関係者」を巧みに接待の酒宴に引っぱり込む様子は老獪な遊び人のようで、もはや「青春日記」の謳い文句から外れて来た感があります。しかし、弥太郎はまだ青春の尻尾を引きずっていることが、後に分かって来ます。
十一日 早朝に寓舎に帰ると、前日に何の断りもしなかったので、下許君は少し不平の顔色。余もまた自ら悔いた。二日酔いが覚めない。気分(心気)が悪く午後まで臥していた。午後浴場。吉田参政に呈上する書簡を浄書した。夜早い時間(八時頃)に寝た。(この日の日記全文)
十二日 参政に上げる書簡を推敲しました。その後、泰吉を訪ねて談話。昨夜の精算をするため、「前後をうかがって(顧後慮前。弥太郎は人目を気にしている)あたふたし、ようやく花月楼に至った」。一室に歌妓を呼びますが、早々に帰りました。どうにも落ち着かない様子です。
帰寓後、弥太郎は「熊次(郎。大根屋次男)と当地には大した人物がいない(無人)」と談じました。同宿者に「大学」の句読を教えた後、「吉田参政に呈する清国科挙制度に関する報告書を認めた。何分にも酔いと眠気の一挙に来て堪えられず、寝た」