高知、再会と悔恨
四月八日 早起きして長崎での経費を記録。義兄吉村喜久次が帰宅したので、急な帰国の事情を説明しました。昼から「酒を飲んで大いに愉快」一眠りすると夕方、それからも飲み続け話が弾みます。が、寝ようとすると長崎での遊蕩が思い浮かんで来ます。後悔し、心配になって「心神がこのために安まらない」
九日 出勤するつもりでしたが、今日は「悪日」なので明日にすべき、と姉妹から助言があり、雨も降っていたので「引き籠もる」。池内蔵太が、「小野叔父」から弥太郎帰郷と聞いて来訪、「談話を久しうした」。昼に喜久次が帰って来ると、三人で「温酒」を飲み「箸陣(箸拳)」、「余程愉快」一眠りして夕方になり、雨が激しくなる中、内蔵太は明日の約束をして帰ります。その後、長崎での会計記録を検している内に「また眠った」
十日 「午後下元氏を訪れ、下許君より預かっていた薬と蘭酒と書状一通を慌ただしく渡した。それより支配方へ罷り出て、この度の帰国の主意を申し上げたところ」、指示があってすぐさま御仕置所に赴き、詰めていた役人に長い陳述をして帰りました。「少シ心持も悪しく徐歩(しずかに歩いた)」
生野泰吉を訪ねて「少し湿酒」していると、岡崎菊馬が現れて「豈計、岩崎氏がここにいる」と驚き、吉村三太も来たので三人を連れて義兄宅で酒盛りをしました。その後で泰吉宅に行き、しこたま酒を飲んで夜中を過ぎて帰りました。「街市寂然」ようやく義兄宅に戻ったものの「寝所にたどり着けず、そのまま上がり口に倒れ臥す。鶏の声を聞いてようやく醒め、急いで起きて布団に入った」
十一日 午前、御勘定方から命じられて出勤。下許武兵衛から預かっていた御仕置所への書状を持参、談判をした後に提出。勘定小頭らと「鎮西の談」をしました。帰宅して「喫飯」後、約束をしていた岡崎菊馬宅を訪れ、昨日と同じ顔ぶれで酒盛り。「飲み且つ談じ、囲碁を打ち、一弦琴を弾く」「夜中を過ぎて三太は倒れ臥し、泰吉は留まったが、余は辞して帰った、飯を食って寝た」
十二日 雨。不出。崎陽蕩遊録を認めた。独酌、微酔し寝た。(この日の日記全文。「崎陽(長崎)蕩遊録」は「瓊浦日録」のことでしょうか? 別の記録が残っていたら面白いのですが)
十三日 午前中、「小野叔父や池内蔵太が来訪し長崎の形勢について色々と談話」。「御目付方より明日午前に罷り出る」よう指示が来ました。午後、内蔵太が去る時に、夕方の約束をしました。そこに隅田敬(治)が現れ、二人して市中で「対酌」し夕方に別れた後、「池氏」に赴き、他の人も含めて「箸陣の技を競い合う」。その後、一緒に散歩して月鏡川へ。しかし、弥太郎は「明日の出勤のことが気にかかり……格別不快」だったので、別れて家に帰りました。すると、故郷の母がいて「驚喜」、長い時間話をした後で寝ました。