弥太郎、金づる扱いされる 「青春日記」最終回
安政六年十二月二十六日 旅宿大根屋のみよ蔵が「大坂の人に雇われて小倉まで行くことになったので」昨日貸した金の返済は年が明けてからになる、と伝えて来ました。岩崎弥太郎は了承した後、「こんな懶惰の様で過ごしていては国家(土佐藩)と父母に申し訳ない」のだけれど、ゴタゴタしていて思うに任せない、とこぼしています。午前中に清の墨客林約簡宅に行き、そこにいた(清人の)僧に日本語を教えました。
午後、竹内静渓との飲酒で公金を使うかどうか、下許武兵衛とやりとりをしました(長いので略)。ところが大根屋に来るはずの静渓は現れず、二人で魚を買って静渓宅を訪れました。しばらく留まっても静渓は戻らず、弥太郎が宿に帰ると、静渓は今井純正と酒を飲んでいました。夜、国元への「御用状」を下許に代わって書きました。
二十七日 早起きして故郷へ手紙を認め(静渓が来訪したものの、傍らで書き続け)、昨日の下許の御用状とまとめて送付しました。朝から酒を飲んで「愉快」、相撲取りの朝之海が飲みに来て拇戦指相撲や歌を楽しみ、朝之海と戯れの取っ組み合いをして「上下転倒」する内、部屋の衣桁竿を折ってしまい、宿の主人は「遺憾甚し」。「すっかり酩酊し傍若無人だった」
酒の合間に、弥太郎と下許は、静渓に対し二人が談じたことは何事も旅宿の諸氏には黙っているよう申し入れをしました。また、弥太郎は同郷のオランダ語通詞生の中原宗太郎に、留学中に国元に出入りするのは難しいと忠告します。静渓から、酒楼に行こうと誘われ「随分行く心持ちになったけれど」下許が止め、そのまま休みました。夜中に目覚め、戸を開けて輝く星空を見やり、酒をやめる約束をしたのに、今日の挙動は「不忠不孝」だったと反省しました。
二十八日 「夜明けに起きて結髪店に行く。昨夜の振る舞いに恥じ入る。朝飯後、今井兄に背中に灸をしてもらい、自分の足に灸をした」昨夜の酒代の扱いを下許にたずねると、静渓を接待したのだから公費にしよう、とのこと。大根屋に払いをし、午後、灸治所へ行って黄昏前に帰りました。
二十九日 雨。朝食後、浴場へ行くと、「町の人々が正月の用意で雑踏していた。故郷を思う情でとても寂しくなった」帰宿後自分の使える金が乏しいと考え込み、「精神がいじましくぐずぐずしている」その後、今井が八十文貸してほしいと頼んで来たので貸しました。「午後、浜を歩くと雑踏しており、辺りはどこも混雑の有様で、旅の愁いで読書も捗らない。年が明けたらきっと志を立て、激しく心を奮い立たせよう」
夜、静渓が来て、久松善兵衛は土佐への椎茸の注文の増やしたい意向だと伝えて来ました。隅田敬治までも弥太郎に金を借りたいと言って来たので、二杖頭(二百文)貸しました。「周囲が慌ただしい様を下許と共に笑い、床に臥すと、頻りに故郷の夢を見た」
三十日 午前、市中で小箱を二つ買って帰った後、下許、隅田と「市中徘徊」して「出島のオランダ屋敷を見物した。港には多少の外国船があった」旅舎に帰ると、隅田が昨日貸した金を返して来ました。下許と買って来た「竹輪二本」で酒を酌み交わします。宗太郎、隅田、今井も現れました。
酔って楽しくなり、故郷に帰りたい思いを忘れた。夜十時頃寝た。すぐに人が来たので起きて目を開くと、静渓と宿の主人が数十冊の本を背負って、余に購入を求めたが一冊も読むべき本がなく断った。午前四時頃になっても、市街ではなお人の声がやまない。衣を解いてまた寝た。故郷を思う情がやまず恍惚とした。
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