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弥太郎、酔って暴れ、叱られる

一月十一日 午後、二宮如山宅を訪ねます。「オランダ人シイボルト」に、西洋式の火薬工場を作るための依頼をしようとして、彼は専門外だから尋ねても無駄だと如山の子息に忠告されます。弥太郎らには、西洋文明に対する知識も、長崎の西洋人への伝手つても欠けていたようです。

 弥太郎ら土佐藩から派遣された三人組は竹内静渓せいけいという人物を信頼し、久松ら長崎の有力商家との仲介を依頼していました。この日、静渓は、もう年度目か、久松氏との面談は相手の都合でできないと報告して来ました。

 中沢寅太郎は、静渓には苦労をかけているが、これは土佐の公事なので、静渓を誘って公金で酒楼に行くのはどうかと提案します。下許武兵衛が同意し、四人で丸山へ行ったものの席を断られます。やむを得ず止宿先である大根屋の向かいの酒楼に上り、酒を命じて「随分愉快」になります。

 竹内静渓は前回名前だけ出して、人物紹介をしていませんでした。長岡謙吉の評伝を書いた山田一郎によれば、静渓は「播州明石藩の浪人」「本名は新吉」「定職も定収入もない」「得体の知れない男」です。長崎の有力商家に食い込んでいて、外国貿易に参入したくても伝手のなかった土佐藩との仲介をしていました。いわば独立系コンサルタントです。長崎に各地から入り込んできた怪しい人間の一人、と(長岡の側に立つ)田中は見ています。

 ここで、弥太郎は大根屋に戻って同宿の隅田敬治を誘い出します。隅田は、自分が、小曾根六郎から今井純正の借りた金の「借金受人(保証人)」とされていると聞いて、連座して追及されるのではと恐れ、鬱状態だというのです。弥太郎の気づかいと腰の軽さ。隅田も入って箸拳で大いに盛り上がり、弥太郎らはひどく酩酊します。どうも大変な客だったようです。

酒楼に二人の芸妓がいるので、呼んで弦を弾かせようとしたところ、客(である自分たち)が暴れるのを恐れ、避けて他へ出てしまい、来なかった。楽しみ尽くしたので店を出た。大根屋に戻っていろりで餅を焙り、団欒しつつこれを食べようとした。

 弥太郎はふざけて餅数個を奪い、黒砂糖を争うようにして食べるなどしたので、椀がひっくり返って中のものがそこら中に飛び散ります。やすんでいた宿主の妻はあまりのことに怒り出し、大声で叱りました。しかし、興を尽くして臥した、と日記の最後に書く弥太郎は大して反省していないようです。

 この辺りの事情や人物について、弥太郎のもう一つの日記「征西雑録」を読んで新たな情報を得ました(下の記事を参照)。静渓は弥太郎らが来るだいぶ前から土佐藩の「コンサルタント」だったとみられます。

 隅田敬治は日記中、既に四日から登場していました。最初の長崎滞在時、最も仲良くしていた人物の一人です。土佐藩関係者のようですが、なぜ長崎にいたのか、どういう立場なのか日記からは判明せず、参考になる情報も見つかりませんでした。日記を読む上で支障がないので、これ以上の探求はしません。

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