随筆:「ただ今より発表させていただきます。」許可が必要ですか?
研究会などの発表では決まったように、「ただ今より、発表させていただきます。」という言葉で発表が始まります。もちろんこの表現は、自分を謙遜した表現であることは知っています。しかし、私はこの表現を聞くと、次に述べるような疑問が起きてきます。
「させていただく」とは許可を与える人と、許可を認められる人がいることになります。許可を与えるのは、この場合は発表を聞く聴衆であり、許可を認められる人は発表者ということになります。しかし、どうして許可を認められる必要があるのでしょうか。
何らかの特別の配慮や便宜を受けて、「~させていただく」という表現を使うのであれば、この表現はあってしかるべき表現であります。しかし、通例はこのような場合ではなく、発表の順番がすでに決まっていて、決まった順番に従い自分の順番になって登壇する時敢えて使います。つまりそんなことは当然承知したうえで使っています。ではなぜ、わざわざこんな表現を使うのでしょうか。
この理由として、考えられるのは自分の発表に対して、自分がわざと下手にでることで、「相手を立てて反論や異論を少しで抑えようとする心理」が働いているのではないだろうか、と私は考えてしまいます。さらにその心理の奥底には「私が話をしてやるんだから、おとなしく聞きなさい」とのやや傲慢な意識が隠されていないだろうかとも思います。
商店の張り紙に「勝手ながら、本日は休業とさせていただきます」と書かれた文章を目にすることがあります。商店主の客を大切に思う気持ちが伝わり、まるで「お客様に申し訳けありません」という声が聞こえてくるようです。「そこまで恐縮しなくても良いのに」と思ってしまいます。
しかし、先に述べた発表の例では、別な言い方をすると、「~させていただく」は「~してやる」の対となる表現であり、相手が自分より(力関係などで)上の人に「~させていだだく」となり、相手が自分より弱い(力関係で下の)人には「~してやる」という力関係(言葉を換えれば権力関係)が透けて見えてきます。この2つの表現から、残念なことにいつの間にか私たちは、力関係でしか言葉を使うことができない意識の状態に押し込められているのではないかと私は思えてしまうのです。
少し乱暴な意見になりますが、日本語の表現として、この「人間として対等な関係で表現できにくい構造」が日本語の表現として、日本語の中にしっかりと組み込まれ定着してしまっているのではないでしょうか。そのため、「~させていただきます」という表現そのものに対して異議を唱えると、「何をばかなことを言っているんだ。お前は言葉の使い方を知らない非常識な人間か」と一蹴されてしまいそうです。
それでも私は「対等な人間関係にふさわしい表現」を求めて、ささやかな抵抗をしたいのです。したがって、この場合私は「ただ今より、発表いたします。」と言う表現をするようにこだわりたいのです。