命の紙シリーズ 「カフェの奇跡」
次にこの紙を手にしたあなたが命を救います。
彼がその紙を見つけたのは、カフェのテーブルだった。
大学生の彼は、アルバイトと授業の合間に一息つくため、いつものカフェで勉強していた。
コーヒーの香りが心地よく漂い、甘いスイーツの香りが混ざり合い、静かなジャズが流れる中、まったりとした時間を楽しんでいた。
そんな時、彼がメニューを取ろうと手を伸ばした瞬間、一枚の紙がテーブルからひらりと落ちた。
最初は気にも留めなかったが、床に落ちた紙を拾い上げると、そこには大きく書かれた文字が目に飛び込んできた。
「次にこの紙を手にしたあなたが命を救います。」
その言葉が、まるで彼の心に小さな波紋を広げるかのように響いた。紙を裏返すと、「AEDの使い方」と書かれている。彼は思わずため息をついた。
(またAEDか…)
数年前、大学のグラウンドで友人が突然倒れた時のことが、彼の頭に蘇る。誰よりも早く駆けつけたのに、ただ立ち尽くすしかなかった。無力感が今でも彼の心に重くのしかかっている。
AEDを使うべきだという思いはあったが、何をすればいいのか全く分からなかったのだ。
(あの時、俺がAEDを使えていたら…)
結局、別の学生がAEDを使い、友人は助かった。
それでも、彼は自分の無力さに打ちひしがれていた。
心の奥底に深く刻まれたあの瞬間から、彼は自分の力を信じることができなくなっていた。
彼の手には、今もその紙が握られている。「次にこの紙を手にしたあなたが命を救います。」
突然、店内に「ガシャン!」という音が響いた。
ガラスが割れた音が耳に入った瞬間、彼は驚いて振り向いた。
カフェの奥で女性が倒れている。
周囲の客たちが一斉に動揺し、「救急車を呼んで!」と叫ぶ声が飛び交う。目の前の光景が、まるで時間が止まったかのように彼の頭に焼き付いた。
女性の周りには人々が集まり、誰もが助けを求めている。
彼は一瞬固まったが、心臓が激しく鼓動し始めた。
(またあの時と同じだ…)
冷たい汗が額ににじみ出る。全身が凍りつき、動けない。周囲の人々が動揺しながら指示を出す中で、自分が何もできないという恐怖が胸を締め付ける。
(無理だ、俺にはできない…)
その時、彼の視界に紙が再び映った。
「次にこの紙を手にしたあなたが命を救います。」
彼は自分に問いかけた。(俺にだって…本当にできるのか?)
けれども、考える時間はなかった。すぐにAEDを探しに店内を見回したが、カフェの中には設置されていなかった。
(どうしよう、AEDがない…)
慌てて頭を巡らせる。すると、近くの歯科医院に「AEDステッカー」が貼られていたのを思い出した。あそこにAEDがあるかもしれない!
(行かなきゃ、女性の命が…!)
彼は全速力でカフェを飛び出し、歯科医院に向かった。「すみません! AEDを貸してください!カフェで女性が倒れていて、急いでるんです!」
彼の必死の訴えに、受付の人が驚いた表情を浮かべたが、すぐに動き出し、AEDを取り出して渡してくれた。彼は感謝の言葉もそこそこに、再びカフェに戻った。
カフェに戻ると、女性の周りには人だかりができている。
震える手でAEDを開き、機械の声に従って電源を入れ、パッドを女性の胸に貼り付ける。
周囲の目が自分に集まるのを感じ、冷や汗が背中を流れる。心臓がバクバクと高鳴り、手が震える。彼は思わず躊躇した。
(本当に俺がこれを使っていいのか?もし間違ったら…)
不安が彼を包み込む。
AEDを使う自信が持てず、心が揺れる。
しかし、女性の命が懸かっているという現実が彼を突き動かした。
「ショックを行います。離れてください。」
その瞬間、女性の体が少し跳ね、店内が静まり返った。
そして、次の瞬間、女性の胸がゆっくりと上下し始めた。
それを見て彼は、ようやく全身の力が抜け、深く息をついた。
店内は再びざわめきに包まれ、救急車のサイレンが遠くから聞こえてくる。彼は歯科医院にAEDを返しに行き、再びカフェに戻った。
手にしていた紙を見つめ、そこに書かれている小さな文字に気づく。
「次の人にこの紙を託しなさい。」
(託す?自分も誰かから託されたということなのか?でもこの紙のおかげであの時から一歩前に進めた気がした。)
彼は静かにカフェのテーブルに紙を戻した。次にこの紙を手にするのは、誰だろう。
彼はその紙に期待を込め、カフェを後にした。
次の主人公は、再び別の命を救う運命に導かれるかもしれない。
命の紙は、それぞれの人の中に眠る勇気を呼び起こし、救命の連鎖を繋いでいく。
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