らんらん
過去のことを振り返り、見つめ直すために書いています
よく分かってないまま、note始めました アメブロでずっと不定期にブログを書いてきたのですが アメブロは、知り合いが多いのと 娘が見てる・・・ 書きにくい💦 というのもあって、私の胸の内などはこちらに書いてみようと思って 始めてみました 娘は起立性調節障害という病気と戦ってます こうなった原因は全て私にあります 私は自己肯定感かとても低い人間です 自己肯定感の低い親の元で育った娘は やっぱり自己肯定感が低い 私が、高めないと、娘はますます低いまま こ
昨日から梅雨入り うちの娘、最近具合悪い 本当の夜になると少しいいけど 一日中、フラフラ 本当に、大人になったら良くなるって誰言ったん? はい、すみません💦 個人差です #起立性調節障害
私の行ってた高校は 合唱部がとても有名で 全国大会に出場するほどの腕前でした 私は歌が大好きでした 人の顔色ばかり伺ってきたので 唯一大きな声で歌ったりできる音楽の時間が大好きでした そんな合唱部から スカウトが来たのです 嬉しかったです 初めて、他人から認められた感じがしました でも、幼い頃から あんたには無理だ と言われ、自己肯定感のまるでないわたしには 不安しかありませんでした 母に 聞いてみました 全国大会で、北海道行ったりしてるんや
高校は、私の学力も考えて当時の担任と相談し、女子高校を受験しました。 同じ高校を受験する数人で、受験する高校へ行ったように覚えています。 その時、初めて3年間仲良くできる友人に出会えました。 そして、合格発表の日。 私は1人で見に行きました。 私服で行きました。 友達がいないので、そういう時制服で行くということを私は知りませんでした。私も無知だったので、母に、私服でいいと言われ、一緒に見に行ったと思います。 やっぱり私は浮いていました。母は、そのへんのTPOが全く理解しておら
友達の紹介で、雑誌を見て チェッカーズのファンになった それまでは 芸能人とか アイドルとか 全く興味がなかった 藤井郁弥はカッコよかった この時の出会いがなければ 今の私はないと思う 生きる屍のまま 大人になって ボーッと生きて もしかしたら もう、この世には居なかった可能性だってある フミヤのファンは 娘がジャニーズにハマるまで続いた 支えてくれて フミヤには本当に感謝しかない
ひとりぼっちだった私にも友達が出来た でも、すごく大好きな子ができて その子が私以外と楽しそうに話してるのを見て 嫉妬してしまって その事が原因で喧嘩をした事がある 唯、寂しかったのだ 親友と呼べる人が欲しかったのだ 友達は去っていった また1人になった その後電話で謝って何とか許して貰えたが その友達とは 卒業以来会っていない
何がきっかけで、何が原因か分かりませんが 小学校高学年あたりから ずっといじめられてました 多分 自分に自信もなくて 自分の意見もなくて ただ生きる屍のような私を 周りの同級生は気持ち悪かったのかもしれません 小学校でのいじめ 小学生って素直だから すぐに言葉に出ちゃう 特に男子は 私が何かを言うと、暴言を返し 私から給食を配られるのを嫌がり まるでバイ菌のように扱いました 中学での体調不良中学は、ふたつの小学校から半分ずつ生徒が集まって 小学校の
子供の頃の父は、本当に怖い存在でした 子供の扱いが慣れてなかったんでしょうか? 遊んでもらった記憶もなく 行ったところは 父が好きだった骨董品お店ばかり 高山で 骨董品 私たちは 車の中で待っているのみ そういう記憶しかあまりありませんでした 父に言われたことでよく覚えているのは 怒るとすぐに出ていけ という言葉と お前なんか生まれて来なければ良かった という言葉 自分の思っている道から外れたことをすると いつも 足投げのように 突き放す言
祖母は、数年前に他界しましたが ずっと母とは仲が悪かったです いつも母は、祖母の悪口を言ってました 多分、幼少期のイライラの原因は 紛れもなくほとんどが祖母で なんでも、触って欲しくないし して欲しくもない やっても中途半端なのもイライラ そして 余計なこともする 大事なことは言わない そんな祖母は やっぱり当たり前のように 私より弟を可愛がりました 私は女だから 我慢しなさい と よく言われました 祖母にとって 男性優位 は 当たり
私には4つ離れた弟がいます大人になった今も どこかよそよそしい私に 弟と仲良くしなさい と、言ってきますが 私は 極力迷惑をかけたくないと思ってます 勝手な昔のわだかまりがあるんだと思います 私が離婚した時 弟は 両親がちゃんと育ててくれたから 自分たちがまともに成長出来たんやと思う と、言ってきました 弟は ちゃんと育てられたんだな と、思いました 弟は 親の愛情をしっかり受けて育てられたんだと思いました 私は寂しかった 週末になると
うちの家庭について 父が私が3歳の頃から単身赴任で東京にいて 母は、私の祖母と折り合いが悪く 仕事から帰ってきて 祖母にイライラしてたのか いっつも不機嫌そうにしていました 何かを話しても 「後からにして」 と、聞いてくれなかったこともあって でも、大人になってから分かるのですが 母は、余裕がなかったんだと思います 私は大人しくて あまり喋らない子供でした 自分の部屋が与えられるまで 私は親の隣の部屋で寝ていました 単身赴任から帰ってきた父と