短編小説「ねじまき」
僕は今から5、6年前に、派遣バイトでとある自動車工場で働いた事がある。
その仕事場は自動車工場の一角にあり、おそらく自動車に使うのであろう大量のネジが、規格に合っているのかどうかを、専用の器具を使ってひたすらチェックするという仕事だった。
朝、集合場所に行くと、そのおじさんがいた。
背丈は170cm位、50代位のおじさんだった。
「じゃあ、こっちだから」
と言って、作業場所に案内された。
僕は自動車工場に入るのが初めてだったので、ちょっとワクワクした。
そして工場の一角にある小部屋に案内されて、そこで作業の説明を受け、後はひたすらネジを専用の器具にはめて、チェックしていくのだ。
1時間位やると、1本位、規格に合わないネジが出てくる。
それを省いて、またひたすらチェックしていく。
僕は、こういう単純作業の仕事は割と好きで、また初めてやる仕事で新鮮だった。
午前中は、二人とも無言でひたすら作業を続けた。
お昼休みになり、工場の食堂で持ってきたお弁当を食べ、午後の作業に入った。
作業をし出してしばらくして、そのおじさんが声をかけて来た。
「この仕事、嫌いじゃない?」
「あ、はい。嫌いじゃないです」
「そうか。良かったよ。お昼休みで来なくなっちゃう人もいるからさ」
「え」
「なんかこの仕事が嫌になっちゃって、お昼休みに無断で帰っちゃう人もいてさ」
「え、ひどいですね」
「普段から派遣バイトしてるの?」
「そうですね。僕、役者してるんですけど、映画のスタッフとかしながらちょい役で映画に出る時とかもあって。そういう仕事がない時はこういう派遣バイトしてます」
「あ、そうなんだ。すごいね」
「いや、全然すごくないです。売れない役者です」
「今何才?」
「33才です」
「そうか。そんなに若いなら、まだまだ全然大丈夫だよ」
「そうですかね」
「そうだよ」
そんな事を話しながら、作業を続けた。
15時にも小休憩があり、その後18時まで作業する。
小休憩が終わって、また作業を始めた。
チェックしたネジは、ダンボール4、5箱分になった。
「俺はさ、昔自分の会社で事業をやっていてね」
「あ、そうなんですね」
「そう。雑貨の販売をやっていたんだけど、経営がうまくいかなくなって、潰れちゃってね」
「はい」
「それで、今はこの仕事をしてるんだけど」
「はい」
「でも、俺はまだ自分の人生を諦めてないよ」
「そうなんですか」
「カーネル・サンダース知ってる?」
「あの、ケンタッキー・フライドチキンの」
「そう。カーネルサンダースって、若い頃は仕事を転々としていて、40以上の仕事を経験したらしいんだけど、30才位の時に、ガスライトの会社を作るのね」
「はい」
「でも同じ時期に電気ライトが登場して、ガスライトが売れなくなっちゃって、全財産を失うのね」
「え、そうなんですか」
「そう。だけど、カーネル・サンダースは諦めずに、タイヤの営業マンになって、全米1位の営業マンになるのね。だけど36才の時に車の事故に合って、仕事を辞めるのね」
「え」
「そんな時に、石油会社の人から声をかけられて、ガソリンスタンドを始めるのね」
「なるほど」
「カーネルサンダースは、このガソリンスタンドで、ものすごい親切なサービスをするのね。窓拭き、タイヤの空気圧点検、空気入れとか。当時そんないいサービスをするガソリンスタンドはほとんどなくて、人気店になるのね」
「えー、よかったですね」
「でも、1929年に世界恐慌があって、倒産しちゃうのね」
「え、また・・・」
「でもカーネルサンダースはそれでも諦めないのね。もう一回ガソリンスタンドをやって、今度はカフェを併設したのね」
「カフェを」
「そこでカーネルサンダースは、自分のお母さんに教えてもらったレシピをもとに、フライドチキンを出すようになるのね」
「あ、ここで」
「それが美味しいって評判になって、大繁盛するのね。それでケンタッキー州から「カーネル」の称号をもらうまでになるんだけど、カーネル・サンダースのガソリンスタンドがある道路の近くに高速道路ができて、車の流れが変わって、全然客が入らなくなるのね」
「え、そうなんですか」
「それでまた全財産を失って、店を畳む事にするのね」
「なるほど・・・」
「その時カーネル・サンダースはもう65才だったのね。金もない、若くないから体力もない、そんな自分に残されたものはなんだ、そうだ、母さんに教えてもらった、フライドチキンのレシピがあるって言って、そこからフライドチキンのレシピを売る、フランチャイズビシネスを始めるのね」
「なるほど」
「それから全米のレストランを回って営業を始めるんだけど、1000回は断られ、最初の年は7店しか契約を結べなかったんだけど、翌年から一気にフランチャイズが広がって、数百店の規模にまでなってくのね」
「なるほど・・・」
「その後もフランチャイズは拡大を続けて、74才の時には全米で600店、90才で亡くなる時には全世界で6000店にもなるのね」
「すごいですね・・・」
「だからさ、俺はカーネルサンダースに教えてもらったのよ。いくつになっても、何度倒れても、その度に起き上がる、不屈の精神にこそ、勝利の女神は微笑むんだって」
「なるほど・・・」
「だから、俺もまだ自分の人生を諦めてないよ。まだまだこれから、何があるか分からないからね」
「はい」
「だから、中川君もまだまだこれからだよ」
「ありがとうございます」
そして、業務時間が終わった。
「今日はありがとうね」
「いえ、こちらこそ」
「また来てよ」
「はい。ありがとうございます」
「お疲れ様」
「お疲れ様でした」
そして、僕は自動車工場を後にした。
それから、僕は結局その工場にまた行くことはなかった。
でも、あの日おじさんと話した事は、今でも僕の胸の中にある。
僕は今でも、役者をやりながら、いつか売れる日を虎視眈々とうかがっている。
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