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人は選択しなかった方を過大評価する

僕は過去で迫られた節々の選択を後悔している。

『あの時もっとこうしていれば、今の惨めな生活はなかったんだろうな』
と。

どこかで選択を誤って、現在進行で間違いの人生を歩んでいる…みたいな。


考え方

自分の人生を過大評価しているようだ。
結果に対する考え方を下に書いていく。


大して変わらない

一見重要な選択肢に見えて、人生が変わったように思えても、実は大して変わってない。
オープンワールドのサブクエストみたいなもん。

ストーリーゲームのオマケ要素。
本筋のストーリーには関係ないので、クリアしてもしなくてもよいし、その後の影響はストーリーに全く関わってこない。

僕らは人生にいくつものメインクエストがあると思いがちだが、実はほとんど、もしかしたら全部サブクエストなのかもしれない。

特に今の時代は。
倒すべき敵もいないし、克服すべき問題も見当たらない。
あるにしても、火のないところに煙は立たせている感がある。

ゲームのストーリーをクリアしたところで、その世界が完全に平和になるかといったら全然違う。
ザコ敵は無限に出てくるし、ちょくちょく困り事を抱えた村人がいる。

なにを達成しようと、失敗しようと、分岐先は対して変わらない。

令和のメインクエストなんて思い込み。


どのみち同じ

過程は違っても、結果は同じ。

これは長い目で見ると事実。
人間の、生物の結果は死だ。
極端だけどね。
ある哲学者は「人間の営みは回るコマのようにぐるぐる回っているだけで、全て徒労だ」と説いた。
結果が同じだから。

偉業を成し遂げても、莫大な富を築いて豪遊しても、最後は死ぬだけだし、死後も功績が後世に伝わっても、めちゃくちゃ長い目で見れば地球だって無くなる。
すべての営みは無駄無意味。

これは世界単位かつ歴史単位なので極端だけど、自分の人生も一見重要な分岐点に見える決断も、長い目で見ると何の影響もないと思おう。

無数にある分岐も、全て1つの結果に行きつく。
運命論と言ったところか。

過程が木の枝で、結果が根っこ。枝から根っこに向かっていくと、みんな根っこに辿り着く。

今病気で苦しんでいるなら、過程で運動したり食生活に気を付けていてもどのみち病気になっていたと考える。


note

noteもサブクエスト。
やってもやめても、人気になってもならなくても、どこかにあるかもしれないメインクエストには関係がない。

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