いかにスルーできるかで精神の安定は変わる
自分のことをいちばん知っているのは自分。
客観視できているかは別として、肉体は四六時中共にしてるし、思考も分かる。当たり前だけど。
行動した理由は本人にしか分からない
三浦春馬や竹内結子、上島竜兵が自殺したが、誰ひとり決定的な理由は分からなかった。精神科医でさえも分からなかっただろう。
本人にしか分からない____
それが証明している。
真の理解者は本人のみ。
それ以外で真の理解者を名乗っていいのは、事前に希死念慮や自殺企図をキャッチしていた人のみ。もはや第六感を持っている人だろうが…。
でもそういうこと。
理解しているようで、理解している気になってるだけ。
生前の三浦春馬や竹内結子には、どんなアドバイスをしても響かなかっただろう。
希死念慮に苛まれているのだから。何よりも先に希死念慮を治さねばならないのに、他者は気付かず的外れなアドバイスをする。文字通り死活問題なのに。
自分のこと
僕は大人になってから知的障害が発覚した。
小さな頃から不適応を起こしていたのだが、適切なアドバイスをくれた人はいなかった。本質を分かってくれていなかったというか。
「努力でなんとかなる」「親の教育不足」と解釈された。
なんなら親ですら理解してくれない。
僕の働きぶりや、集団行動の一部始終を見ていたら意見が変わっているだろうが、そんな記録は僕の頭だけにしかない。
知的障害の判定を下された時期は、働いていた時期だった。
不適応を起こしていたため、今思うと適応障害に片足を突っ込んでいた。
当初はうつ病だと思い、診断を下した専門家にうつ病であることを相談した。
専門家は「日光を浴びて運動をしましょう」と言った。
ストレス源が職場なので、そのアドバイスを聞いて実践したところでマッチポンプになるだけだ。
散歩もしたし陽の光も浴びたが、当然良くならない。
精神はジリ貧で、長くは持たず退職することになった。
知的障害当事者や、専門家のの意見をネットで参考にしたが、アテにならなかった。
当事者は「知的障害があっても働けます!」と豪語しながら作業所通い。それなら僕にでもできるっつの。
専門家は福祉へ行くことしか勧めない。藁にも縋る思いで福祉へ行って的外れなアドバイスもらったんですけど…。
人は皆孤独で分からず屋
今は他者がなんと言おうと自分が生きやすいかどうかで判断している。
現在ニートだが、働いている時と比べてかなり精神が安定している。もうこれがベストな答えだろう。
当然無職は世間体が非常に悪い。色々悪い感情を向けられるだろう。
しかしスルーさせてもらう。
どうせ何も分かってないんだから、アドバイスも的外れ。
自分にとってベストなアドバイスができるのは、自分のみだと思う。それがどんなものであれ。
「他者はこう言ったから…」ではなく、自分で決めよう。
そのためには常に頭を動かし、内面の機微を把握する必要がある。
自分はどう思ったか、どこに嫌悪感を感じたか。
何が不幸か、何が幸せか。
これら自分の内面に蓋をし続けると、三浦春馬や竹内結子のような末路を辿るだろう。