【怪談】人は解釈したいようにしか解釈しない

夜寝ている時、金縛りになって、部屋に知らない女が見えた。
聞いた分には「それ心霊体験じゃないか?」と思っても、本人は頑なに認めようとしない。

考え方としては

  1. 幽霊だ!

  2. 脳の錯覚だ

同じ事実でも解釈が異なる。

見たものが同じでも解釈が違うなら、もう人間は分かり合えない。

でも正解は分からない。
脳の錯覚かもしれないし、幽霊かもしれない。

実際に見ても信じないなら、幽霊を信じていない人は、何を見ても信じないだろう。
幽霊を信じている人は、見なくても信じるだろう。金縛りだけではなく、夢も幸運も筋肉痛も全部幽霊と結びつける。事実はひとつだが、解釈は無限だ。そして何が正しいのか、間違っているのかは分からない。
 僕は5G電波が有害だったり、コロナワクチンが有害だったりといった言説を信じていない。でも有害という説が正しいかもしれない。
大事なのは、自分がどんな解釈を信じているか。
幽霊を信じるのか、科学を信じるのか。

僕は何を信じているのだろう。それすら分からない。

中立?

人は信じたいものを信じる。これは心霊に限らない。世の中の常識というのは、全部自分にとって都合の良い思い込みなのかもしれない。
『幽霊はいるな』と思い込めば、どんなことも幽霊のせいにしてしまう。家鳴りも幽霊のせい。今日の天気が雨なのも幽霊のせい。イライラするのも背後霊のせい。
『自分は嫌われているな』『自分は運が悪いな』『世の中は嫌な事ばかりだな』と思うと、どんな現象もその確証に結びつけてしまう。

怪談が好きな人は、事あるごとに「あれは幽霊だ!」と結論づけるが、幽霊を信じていない人は、たとえ壁をすり抜ける人を見ても「見間違いだ」などと結論づけるのだろう。

参考サイト


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