できる人が限られているからこそ輝く
YouTubeなら編集力
正解は無いけど不正解は確かにある
よく見るいわゆる底辺(言い方すいません💦)配信者の動画投稿履歴を見ると、エイペックスの無編集実況を何時間も垂れ流すアーカイブばかりなのは伸びる可能性として薄いと思う。
誰でも出来るくらいの手抜き品質だからだ
そのうえそもそも需要が無い
配信者たるものYouTuber。ならば編集力は欠かせない。
題材がイマイチでも、編集力で化けるはずだ。
食材と料理力みたいな関係
逆にいくら素材が良くても、料理人の技術が無いと料理は不味くなる。
怪物くんというYouTubeチャンネルをご存知だろうか。
1人の人間の私生活に密着するゆるいドキュメンタリーのような趣旨内容だ。
少し観れば分かるが
とにかく編集力が高い
借金数百万…売れない底辺芸人…ノロマトークと、撮られている対象(怪物くん)の人間的魅力は驚くほど低いが、カメラマン兼編集者(上田)のスキルが高いおかげでテレビ顔負けの品質と化している。
たぶんカメラも良いやつを使っている。いくらAppleの製品だとしてもあの映像美にはならないと思う。
あとから知ったが、上田氏はテレビ関係者だということだ。納得した。
仮に怪物くんというコンテンツが無編集かつ直撮りならば、あそこまで伸びることは無いだろう。世の中絶対は無いが、確実に編集はあった方がいい。
今のところYouTube界隈において《編集力》というのはまだ希少だ。
しかし技術は常に発展している。
プレイステーションでいうところの《ShareFactory》のように、なんのスキルもない庶民でもこの先簡単に動画を編集できるようになっていくだろう。
しかし《ShareFactory》で編集した動画にはあまり魅力がない。
技術がないと分かるからだ。
昭和生まれの人間からすれば腰を抜かすほどの編集だろうが、それで驚くような人間ならば、パソコンの《Word》に文字を打ち込んでも、《Excel》で計算をしても驚くだろう。
大抵の人間にはできないからこそ物珍しくて見てしまう。
AI技術も現段階では珍しいので注目を集めるが、一般家庭にも普及すると、技術水準が上がりAI技術と共にあるのが日常になっていく。
10年前はYouTuberなんて言葉は無かった。VTuberなんてなおさらだ。
20年前はYouTubeすら無かった。
今価値とみなされているものも、10年後には無価値になっている可能性が高い
特にAIが出てきてからは進化スピードがどんどん早くなっている。
neverは無くなり、TwitterはXになった。そしてnoteが出来た。
この先は何が無くなり、何が出てくるのか。それは誰にも分からない。