自分は他人のコピー?
他人が欲しがるから自分も欲しくなるのだ。
欲や名誉、美徳だけではなく、罪や悪、タブー、マナー違反なども超自我による刷り込みだ。
特にマナーというのは、マナーの存在を知ってから意識してしまう。
例えば畳の踏み方。《緑の部分を踏んではいけない》というマナーを知った直後からそのマナーを意識してしまい、自分は緑を踏まないようにし、他人が緑を踏むのを見ると不快になる…という思考になる。
そして僕の実体験としては、部活。バドミントンをやっていたのだが、《ネットをくぐるのは失礼》という思想を刷り込まれた。部活を引退してからも、その刷り込みがしばらく尾を引いて、ネットを潜るのに抵抗があった。今はもうバリバリに潜るが。
あと《中二病》という概念を知ってから、ドクロや赤眼、悪魔などに抵抗を抱くようになった。
そして常識といった超自我は変わる。
《食べ物を残すのはもったいない》という価値観がある。
この価値観が正義だとされたのは、江戸時代の飢饉や明治時代の戦時中は食べ物が満足に食べられなかったためであろう。
戦争が終わってしばらくこの価値観は続いたが、最近はコンビニでも飲食店でも廃棄がとんでもない量出ているし、ギリギリ戦争を経験してきた世代でも食べ物を残しているのを見たことが頻繁にある。
《もったいない》という言葉は世界にもそのまま《MOTTAINAI》として広がっているが、日本ではもうその価値観は無くなっていると思うし、この先もっと薄れていくと思う。
このように価値観は環境や時代によって移り変わる。《働かざる者食うべからず》という価値観も、高度経済成長期という前時代の産物だろう。
生活は高水準、ゲームや動画サイトなどの娯楽は基本無料がザラであり、インフラも充実している。
もう日本はある種ゴールを迎えているというのにまだ働くというのか。
しかし昨今では、働き方改革が推し進められ、残業が美徳にならなくなってきた。
ひと昔前では「24時間働けますか?」というキャッチフレーズのCMが流行ったらしい。ついでに飲み会などの強制力もなくなってきた。社内のメンバーは家族ではなくなっているのだ。これは終身雇用という価値観に亀裂が入った証拠だろう。転職が当たり前になっていくのかもしれない。
人間は価値観という本能以外のプログラムで短期的に行動を変える。これは他の生物にはない進化、変化方法だ。
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