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時代の移り変わりとリンクする装い
2023年3月某日
時代をまとう女性たち【特別企画展】
昭和館 | National Showa Memorial Museum
ソメイヨシノが咲き誇る千鳥ヶ淵。
卒業式でテンション高めの学生が行き交う武道館。
そんな慌ただしい九段下界隈にひっそりとたたずむ昭和館。
ひっそりとはいうものの、かなり立派な建物で。
いつの間にやら昭和は2つ前の元号かあとしみじみしてみたり。
プロローグ:洋装文化の受容
1.戦時下の女性と服装
2.洋装文化の流入
3.大衆化の時代へ
展覧会情報を眺めていて、ふと気になった「時代をまとう女性たち」。
展示のボリュームはそんなに多くないけど、時代の流れやうねりを感じるものになっていた。
昭和の1つ前の大正時代。
大正ロマン、大正デモクラシー、そしてモダニズムやらなんやらで、今までとは異なる価値観がガーッとなだれ込んできた時代。
モボ&モガがぶいぶい言わせてたイメージ。
そして昭和に入り、洋装が浸透してくる。
洋装が広まった原因の1つが、関東大震災やデパート火災だったというのが意外だった。
着物だと動きにくいとか、裾がはだけるのを気にすることがあったらしく。
やがて戦争の時代へ。
男性は国民服、女性は婦人標準服。ただし婦人標準服はあんまり流行らなかったらしい。
そう、女性は手持ちの着物をアレンジしたり、もんぺに仕立て直したりして、自分なりの着こなしを編み出していったのだった。この違いが非常に興味深い。
戦時中は金属不足で、寺や神社の銅像や鐘が持って行かれたって話は聞いたことがある。
それ以外に綿も供出させれられていたのを始めて知った。
着物の振り袖が非経済的だから短くなったとか、帯の金糸が贅沢だから後から抜かれたとか。なんだかなあ。
無理強いをして国民を思い通りにしようって考え方がなあ。
もんぺのコーディネートが結構かわいい。上半身が着物でボトムはもんぺ。
同じ布でセットアップ的に、あるいは上下別の柄物を組み合わせる、などなど。
なるべく自分の好きなものを着たいと思ったんだろうなあ。
戦争が終わったものの物資が不足していて、大変だったらしい。
軍用品の放出や海外からの支援物資で乗り切ったんだとか。
衣類と食料を交換する「たけのこ生活」なんてことも。
そんな中、昭和21年にはドレスメーカー女学院が再開し、文化服装学院とともに洋裁学校の2大巨頭に。
戦後初の入学願書受付当日の写真、長蛇の列にびっくり。
スキルアップする気満々だったんだなあ。
自分でなんとかする!みたいな気合いがすごい。
昭和21年には暮しの手帖の前身の雑誌が刊行。
中原淳一のスタイルブックも復刊される。
みんな我慢させられていたから、楽しいものや美しいものへの欲求が爆発したのかな。
中原淳一のスタイルブック「きものノ繪本」のコピーが何冊か閲覧できた。
やっぱりすごいな~センスと意気込みが。
戦前戦中戦後の時代に、すっごいポジティブなメッセージを発信していたんだなあと。
カワイイの元祖的存在だけど、カワイイだけじゃあなくかっこいいのよね。
付け襟のアイデアとかすごいわ~着こなしのヒントになるわ~
占領期を経て国際社会へ復帰すると、アメリカンスタイルからパリモードを取り入れる気分に。
杉野芳子や田中千代が道を作って、その後日本のデザイナーが世界で活躍していくことになるのね。
ということでいろいろと思うところがあって感情の振り幅があったような。
グッときたり切ない気持ちになったり、当時の女性たちのたくましさに感心したり。
自分だったらどうやって乗り切ったんだろうとか妄想してみたり。
と、改めて昭和館のサイトを見てみると↓
「昭和館は、主に戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後(昭和30年頃まで)の国民生活上の苦労についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその苦労を知る機会を提供する施設」
とのことだった。もろもろ納得。
忘れてはいけないことなので、記録として残していくのは大事だと思う。
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●今日のおみや
企画展は入場料無料。なので図録を買う。
クリアファイル(すずさん風イラスト)と缶バッジ(5種類くらいから選べる。中原淳一デザインワンピース柄をチョイス)がおまけでもらえた~