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義父の旅立った時の出来事 その1

昨年、3月15日に虹🌈の彼方へ旅立った。初め在宅看取りを選んだけれど、義母が高齢である事、軽めの認知機能も落ちて来ている事もあり、ギリギリまで働き、職場と義実家の通い介護。
ホント最後に、介護休暇を取り関わろうと。

その頃の義父は、一日で、お粥スプーン2杯、麹の甘酒、市販の高タンパクの栄養剤1パックだけ。病院から貰った物は口に合わず。週3回の点滴。風呂は私が入れていた時期もあった。最後の退院した時も散髪して。この時、訪問看護を利用していた。来ていた方々は、大手の病院で、部署の拡大案で訪問看護を立ち上げる時にいた皆んな。
私も訪問看護に移動する事、期待していたが、叶わず辞めた病院の皆さん。 もう在宅頑張ったよ。お母さん(義母)口では、やるからと言うけど、体力も行動も落ちているし、〇〇(私)分かるよね。と。
うん。私が辞めて介護すればいいんだろうけど、と言いかけた時、それは違う✋と首を振った。
主治医に繋ぐから任せて👍✨と。
夜は旦那が察して泊まってくれ、マグロの巻寿司数個と日本酒を数口摂れたと言う。美味いなぁ美味いなぁと。私はオンコール番で自宅にいたが、コールありLINEやりとりで朝を迎えた。
次の日、休みを取り義実家へ。偶然部屋が空いていると言う。つまり、誰かが虹🌈の彼方へと意味。既に救急搬送してもおかしくない状況であったが、自家用車に布団を敷いて病院へ向う。そして入院。10日後位にはあっけなく穏やかに旅立った。

その頃、上の娘が職場鬱症状で戻って来ていた。バタバタ時期も重なり、私も今度ばかりはやり切れるか、いや、やり切れないなら誰がやる。しかも職場の婦人科検診で子宮癌要検査の知らせ。越えられない壁はないと言うが、途方に暮れていた。
亡くなった知らせの電話があった日、あるオプチャで入っていた事もあり、この時期にと思うが、隣の県の稲荷様に急に行きたくなり、フツフツしていた娘を気分転換がてら連れて行く目標。私は、もう義父も頑張ったから見守って下さい。私のこれからの事、見守って下さいと参拝。
その時も、娘とは口喧嘩していた。駐車場に停めていた車のドアを開けたら携帯の着信。嫌な予感は的中。病院からの連絡。息を引き取りそうですと。
病院に向かって車を飛ばし走る。いや、事故にでもなったら駄目だと思い暫し冷静に。こんな事もあるのだろう。願いは届いてしまったのか武者震い止まらず運転していた。
後で義母に聞いたが、同じ頃合いに仏壇で、もう父ちゃん楽にして、ご先祖様引っ張って下さいと朝から何故か唱えていたと言う。
病院から葬儀社へ向う際、2重虹🌈が出ていた。虹を見て旦那も涙止まらず運転。私も別な車を運転しながら泣いてたので、娘が撮ってくれた。その写真が、上の写真。うちの義父らしい、そっと黙って見守る姿だった。

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