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小説『鳥になりたい。』
帰りがけのバスで、窓の外の青空を見つめる。
連なる田畑と家の数々。
その遥か上空で、鳥が飛び立っていく。
(……私も、鳥になれたらな。)
そんなことを思ってしまう。
昔はあんなに鳥が嫌いだったのに。
駅前の鳩に、ビビり散らかしてたこともあったっけ。
保育園のみんなで動物園に行った時は、孔雀なんかが怖くて、先生の後ろに隠れていたっけ。
なんでだろうな。
ただ。
その嘴が怖かった。
その翼が怖かったのだ。
恐らくの原因は、保育園の頃。
何の理由かは忘れてしまったが、保育園の飼育小屋に足を運ぶことがあった。
その時、私に向かって飛びかかった鳥。
きっと、その鳥に恐怖を抱いたのだと思う。
今思えば、あの鳥は自由になりたかったのかもしれない。
人間の身勝手な都合で、封鎖された飼育小屋の一室に閉じ込められ続けていたのだ。
そりゃあ、鬱憤も溜まることだろう。
当然、檻の外から抜け出したいと願うだろう。
そもそも『光る君』で、幼少時代の道長も「鳥を籠の中で飼うのが間違いだ」と言っていた気もするし。
立派な羽があるなら、飛ばなければ損だとも思うし。
あの鳥はきっと、機を待っていたのだ。
判断力の良い大人よりは、幾分か逃げやすい筈の子供がやってくるチャンスを。
……などと、あくまでも空想ではあるけれど。
巣立ちを待つ忍耐力。
自由に空を飛び回る身軽さ。
自らの翼で、遥か遠くまで飛び立つ体力。
鳥から何か大きな力と可能性を感じてる。
それだけは確かだ。
人間である以上、社会や人間とのしがらみは避けられない。
窓の外から見える、鮮やかな海にも。
果ての見えない青空にも。
海原を駆け抜ける、瀬戸大橋にも。
港に並ぶ、あの船にも。
どれだけ鮮やかな景色に焦がれても。
安易に飛び込むことは出来ないのだ。
旅をすることの、ハードルの高さ。
いつの日か、それを知ってしまったから。
「ただもう一度、飛びたかりき。」
「檻を壊して、自由に。」
LCBの囚人であるイサンの言葉に胸を打ってしまうような。
そんな、今の自分だからこそ。
鳥に憧れを抱いているのだろう。
ああ。
もしも、神様がいるのなら。
(来世は、鳥になりたいな。)
そんな願いも、叶うだろうか。
分からないから。
せめて。
祈りを込めて、生きていこう。