憂鬱との距離感

ふとした瞬間、自分が今まで悩んできたことすべてを忘れていることがある。

何も考えてないような時間は幸せかもしれない。辛さや苦しさを忘れられるから。

でも、忘れていると自覚した時、自分自身に大きく失望することになる。なんで忘れてるんだろうと。自分が毎分毎秒苦しめられていた考えから解放される方法が「忘れる」ことだと思いたくなかった。そして、そう考えている自分に愕然とした。忘れられたらって思っていたのに、どうして忘れることを嫌がっているんだろう。いや、嫌がっているというより恐れてるのかもしれない。

わたしがすべてを忘れたら、もはやそれは「わたし」じゃないんじゃないか。長く生きたくない、さっさと死にたいとずっと思っている。でも、わたしが認知症になって、考えていたことを忘れたら。生きるのが幸せだと思うようになったら、自分がいなくなったように感じる。もちろん素晴らしいことだが、わたしらしさは皆無だろう。


厨二病っぽいですね。でも、自分の精神だけがなくなって、体は生きているんだったら、それほど幸せなことはないかもしれません。

まあ鬱々した人間なので、明るい雰囲気のものよりも、暗い感じが好きです。あと、最新よりもレトロな感じとか、廃れた感じが好みです。映画なんかもそういうものに惹かれてしまいます。

実は今、見たい映画があるんです。

Aftersunという映画で、たしか90年代が舞台だったと思います。見終わった後に、けっこう気分が沈むお話らしくて、見るのをものすごく迷ってます。感受性が豊かなほうなので、映画に引きずられてしまうんです。一時的に暗い気分に浸るのはいいんですが、ずっと落ち込むのはやはり怖いです。んーでも見たい。悩ましいです。

憂鬱じゃない自分は変だけど、憂鬱な自分も好きじゃありません。距離感って大事ですね。

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