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もう一度会いたい人

以前、頑張ることが嫌だという話をしたら、すっごく優しいことを言われました。言った本人は深く考えていたわけではないかもしれないけれど、少しだけ息をするのが楽になった気がしました。

もうその人とは会うことがないと思います。でも、わたしにとっては忘れられない出来事だった。彼がこれを読む可能性はほぼゼロですが、本当にありがとう。


生まれた家族の中で、振り分けられたクラスの中で、採用された職場の中で、どんなに辛くてもそこで生きていく努力をするぐらいなら、死んだほうがマシだと思っていた。

生きていたって、必ずしも救いがあるわけじゃない。誰かに生きることを強制するのなら、それ相応の責任をとるべきだと思っていたし、今も思っている。

死を選んだ人は、頑張れなかったわけじゃないと思う。十分いろんなものと戦って、もう疲れ果ててしまったんじゃないかな。

頑張れ、頑張れ。

あなたならできるよ。

こんなこと言われなくても、じゅうぶん頑張ってる。だから人生から逃げたくなる。

そこに追い討ちをかけるように、「生きるべきだ」「生きなさい」って言葉をかけるのは優しさなんだろうか?死ぬのだって権利じゃないのか?

ずーっと悩んでいました。

彼はいい意味で、どこかゆったりしている人でした。余裕があるというか、寛容だったというか。年齢があまり変わらないのに、とてつもない安心感を与えてくれるような。決して老けてるわけじゃないけど。

彼は自分の興味を追求するために、2年間休学したらしい。この時点で尊敬してしまう。わたしは休学するのが怖かった。抗うつ薬を飲みながら、不眠に悩まされながらも、休むことができなかった。休んだら一生レールに戻れないと思っていた。あの頃はやばかったと思う。食事もろくに取れずに、ゼリー飲料に頼っていた。だからこそ、休学という選択肢を自ら選びとった彼は、すごい。

聞いたところによると、高校卒業後と大学進学前にも少し間が空いているらしい。生き急いでない感じがした。自分をしっかり持っていて、自信がある人だった。わたしみたいにクヨクヨ悩まずに、自分らしい人生を満喫しているような気がした。すっごくうらやましかった。だが、嫉妬などではなく、憧れしか感じなかった。生きてる次元が違うとすら思った。

彼の言葉の重みは、その経験からきたものかもしれない。

「そもそも結果が出せなくても、頑張っているという事実はなくならない。誰も認めてくれなくても、自分で頑張っているって認めてあげればいい。」

「その学校で周りから認めてもらえなくても、職場で結果が残せなくても、居場所はもっとある。視野を広げれば、日本という国に住んで、世界の一員なんだから、どこかで必要とされているはず。」

彼は友人を作ることに固執していたわけではないし、1人でいることに固執していたわけでもなかった。自分のペースで人と付き合っていた。話したい時に話し、聞く時はきちんと聞く。社交性があるが、しつこくない。嫌味ではなく、自分を大切にしていることがわかった。

わたしは数度しか彼と会う機会がなかった。だから、彼のことをよくは知らない。でも、自分に自信があることの大切さと、視野を広くすることの大切さを教えてもらった。こんなふうに文章にまとめると、中学生の時に書いた作文と何も変わらなくなってしまうが。

休学を数年したっていいじゃん、大学卒業する前に採用もらえなくてもいいじゃん、嫌ならやめてもいいじゃん。少しはそう思えるようになった気がする。

彼の言葉のおかげでわたしは教習所に通うことを決心できた。周りからすればめっちゃちっちゃい夢だし、当たり前のことに思われるかもしれない。わたしにとっては大きな挑戦だけど。無理だったら失敗してもいいし、やめてもいい。精神的に参ってしまったら、休んでいい。

案外世界って広いんだなって思いました。彼のような人は多くはないけれど、そんなふうに人を包み込む優しさが欲しい。

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