まけて貰った話
新年度が始まる前、新しい教科書を買いに本屋に行くのが楽しみだった。確か本町4丁目の本屋さんは「鈴木書店」という店名だったと思う。その先にあった文房具店「富貴堂」でも新しい教科書を置いていたと思う。学年とか小中高で取り扱い店が分れていたのかも。
風呂敷に包んで持って帰った本を床に広げる瞬間が、これまた楽しかった。ああ、あの頃の、何と表現したらよいのか、ワクワクした純粋な感じは!
何も買わないでも本屋や文房具店は楽しかった。それは今も変わらない。
高2の時、鈴木書店で「USA」というハードカバーの分厚い本を良く立ち読みしていた。正確には「立ち眺め」だ。
その本は表紙を開くと折り畳みのカラー頁があり、それを広げると長く美しい金門橋が現れた。それを見ていたくて欲しくかったが高かった。1,200円位した。いや、もっとしたかもしれない。とにかく何冊も参考書が買える値段だった。毎月のお小遣と言うものは一切なかったし、そういう経済状態だったので、親にねだることもしなかった。
ひと月経ってもふた月経っても、その本は店頭にあった。やがて正月がきたのでお年玉を持って本屋に行くと「USA」はまだそこに! カバーがすこし痛んでいた。
「おじさん、これください!」
僕はおじさんに本を渡した。きっと、ものすごくうれしそうな顔をしていたと思う。そして、その勢いで「まけて…」と小声でお願いすると、おじさんはすかさず、「いいよ」と端数の金額(200円か300円だった)をおまけしてくれた。
おじさんは、頻繁にこの本を眺めている僕に気づいていただろうし、(僕にとってはうまい具合に)長い間売れ残っていた本だったので、「おまけしてあげよう」と思ったに違いない。それでも、あの本屋で値切ったのは、僕くらいだったかもね。(笑)
それからの僕は「USA」の金門橋を広げて眺めては、「いつかこの場所に行く」と夢を膨らませ、オホーツク海の水平線を見ながら「いつかアメリカに行く」と思っていた。大学生になって家を離れる時も、持って行く少ない書物の中に「USA」も入っていた。
余談ですが、大学4年になってすぐに、「文化交流学生プログラム」の名目て短期労働ビザを得てアメリカに渡った。このプログラムに参加した一同は羽田からサンフランシスコに飛んだ。サンフランシスコではツアーが組まれていて、チャイナタウンで食事をしてから向かった先が金門橋だった。
金門橋の長い橋をバスで渡ったのだ!
でも、僕の最大の喜びは金門橋を渡ったことより、金門橋の付け根の部分を通過したことだった(上図の左下部分)。そここそ、まさに本「USA」で熱心に見つめていた場所だったから。
どういう形にせよ、アメリカに渡れたのは潜在意識の力に違いないが、そのきっかけを作ってくれたのが鈴木書店の親父さんの「おまけ」のお陰と今も感謝しています。
(まこと)
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