動けない…… 悩むあなたへ。ちゃんと決めなくていいんです。
「仮」
この言葉に対してどんなイメージがありますか。
辞書を引くと、
・ 一時の間に合わせのもの、臨時
・ 本来のものでないこと、偽(にせ)
あまり良い意味ではないようです。
でも、この「仮」と言う言葉、
ぼくにとってはとても大切な言葉。
これ無しでは、今のぼくも、
これからのぼくもありえない。
未来に持っていける言葉が一つしかない。
もしそんな状況があったとしたら、
間違いなく最終候補に残る。
それほど重要な意味を持っている言葉なのです。
えっ、そんな間に合わせで、
偽の人生を送りたいのって?
そんないい加減な人生になんて興味はない?
勘違いさせてしまっていたら、ごめんなさい
ぼくが伝えたいのは、
決してそんな意味ではありません。
それどころか、むしろ真逆。
「仮」
この言葉があったからこそ、
ぼくは今、こんなふうに感じているのです。
ぼくは今、間違いなく自分の人生を歩んでいる。
それはこれからもずっと輝き続け、
時と共により一層色鮮やかになっていく。
今日は、今や、
ぼくにとって人生のパートナーとも呼べる
「仮」について書いてみたいと思います。
そしてみなさんにも、
この言葉の素晴らしさが伝わって、
気持ちが少し軽くなった。
ちょっと動き出してもいいかも。
そんな風に思ってもらえたら、
ぼくは最高に幸せです。
成果を追い求めて
さて、多くの方が、
こんな思いを持っているのではないでしょうか。
より豊かで、より充実した人生を送りたい。
だから、仕事で成果を出そうと努力する。
知識が足りなければ学習する。
経験が足りなければ、
今は耐える時期とグッと歯を食いしばる。
そうやって成果を出す。
うまくいけば、さらなる高みを目指して、
同じプロセスを繰り返す。
もちろん、うまくいかない時もある。
何がうまくいかなったのか原因を追求して、
次こそはと気合いを入れ直す。
ぼくも同じでした。
そして自分なりに満足していました。
それは成果そのものに対してだけではありません。
ちょっと大げさな言葉ですが、
もっと大きなもの、
そうですね、ぼくが満足を感じていたのは、
これまでの人生、自分は正しく取り組んできた。
これからの人生、自分はこれまで通りやっていける。
もちろんデコボコはあリました。
でも総括すれば、ぼくの人生の前半戦を、
比較的順調に乗り切ってきたのです。
そして、そこには、未来への希望があったのです。
リーダーシップの試練
流れが変わったのは、40才を過ぎたころ。
仕事での役割が変わった時のことでした。
ぼくはある組織の責任者となったのです。
それまでリーダー的な役割を果たすことはありました。
日々の後輩の指導であったり、
社内のプロジェクトでのメンバーへの関わりであったり。
ただ、そんな役割を果たすことに対して、
ぼくは、あまりプレッシャーを感じていませんでした。
それどころか、
自分とチームが結果を出すチャンス
そんな風に捉えていたくらいでした。
表に出すことこそ、なかったかもしれません。
でも、内心では、やってやるぜ、
そんな熱い想いも持っていました。
そして、仕事自体をとても楽しんでいました。
とても前向きで、望ましい社会人だったのでしょう。
と同時に、そこには、
役職のない者に特有の無責任さ
そんなものがあったことも否めません。
「最終的な責任を取るのは上司。
自分じゃない。
だから自由に思い切ってやればいい」
そんな気楽さがあったからこそ、
無邪気にチャレンジできていた、
そんな風にも思うのです。
でも、そんな牧歌的というのか、
安全な柵の中で飛び回っていたような日々は
「役職」についたぼくには、もうありませんでした。
完璧を求める罠
当然ですが、ぼくの管理する組織内で起きることは、
すべてぼくに帰結します。
部下が成果を出せば、それはぼくの成果にもなります。
反対に、失敗をしたら、それはぼくの責任です。
部内でも部外でも、組織の誰もがぼくの意見を求めます。
ぼくは「組織」になってしまったかのようでした。
そして、ぼくはそんな状態にうまく馴染めませんでした。
自分の一つ一つの発言が、ぼくという個人ではなく、
組織の方向性を決めていく。
正直に書きます。
ぼくは怖くなってしまったのだと思います。
手足が縮こまるような思いでした。
そして、萎縮したぼくは次第に
「完璧」を求めるようになっていったのです。
とはいえ、周囲の環境は日々変化していきます。
それに組織とは、
ぼく一人で成り立っているものではありません。
様々な人が、それぞれの価値観で動いています。
その上、自分も含めた「人の気分」というものが、
不安定さに拍車をかけます。
昨日まで前向きに取り組んでいたかと思えば、
翌日には急にやる気を失っている。
そんな場面は日常茶飯事でした。
もう不確かなものばかりでした。
どれだけ完璧を目指しても、
コントロールできるようなものではありませんでした。
そんな状況に対して、
ぼくは、自分にも、そして周囲にも
「完璧」を求めることで解決しようとしたのです。
無理を押し通そうとしているのは、
薄々わかっていました。
でも、ぼくには他に選択肢がなかったのです。
振り返ってみると、
それはまるで急な坂道を、
助走もつけずに自転車で登ろうしているようなものでした。
適切なギヤ選択も知らず、
ぼくは大きくて重いギヤのまま、
急な坂道を力任せに登ろうとしていました。
当然ですが、結果は明らかでした。
どれだけ力んだところで、
ペダルは全く動きません。
バランスを失ったぼくは、倒れました。
そう、文字通り、ぼくは挫折をしたのです。
そして、ぼくは、
そこから動くことができなくなってしまったのです。
いや、違います。
正確に言えば、頭の中は、
これ以上ないほど高速に動いていました。
これをこうしたら...いや待て。
こっちの方が正しいのでは。
数え切れないほどのシュミレーション。
それは、目の前の案件の進め方一つもそう。
これからのキャリアプラン的なものもそう。
考えて、考えて、でも最後に辿り着く先は、
わからない……
いくら考えたって、ぼくにはわからない。
こんなにもわからないぼくにできることなど何もない。
ぼくは考えることをやめました。
そして、人生に主体的に取り組むことをやめました。
当時のぼくの口癖は、どうせなにをしたって一緒、でした。
その頃の自分は、あまり思い出したくありません。
毎日が空虚でした。
全てを受け身で生きているのだから当然です。
でも、それを本気で受け入れられるほど、
ぼくは人生を諦観できませんでした。
ただ、それでも、
どうしても動き出すことができませんでした。
頭ではわかっているのです。
動き出さなければ変化は起きないことを。
でも、ついつい考えてしまうのです。
そして、いつもの癖で完璧を求め、
頭の中がシュミレーションでいっぱいになり、
それだけで疲れ果ててしまう。
やっぱりぼくは、考えたってわからない……
もうぼくの人生が色を取り戻すことはないのだろう、
そんな不安を抱えながら、どんよりとした毎日が過ぎていきました。
新たな風
そんなぼくに転機がやって来たのは、
一通のメールがきっかけでした。
送り主は、
行動イノベーションメソッドの開発者、
目標実現の専門家の大平信孝先生。
いつ登録したのか記憶にもなかった
メルマガが目に止まりました。
それは、大平先生の主催する
オンラインコース「プラチナ」入会案内でした。
そこには、
セルフマネジメントを中心に
自分との付き合い方を学ぶコースであること、
加えて、成果を出した受講生たちの言葉がありました。
それらがとても魅力的であったことは
言うまでもありません。
ただ、ぼくが最も惹きつけられたのは、
メールの最後にあったこの言葉、
「本気でネクストステージを目指す方は
プラチナコースにいらしてください」
自分の人生なんてこんなもの、
そう思いつつも、どこか諦め切ることができず、
何冊も本を読んできました。
これならできそうと思ったものについては、
実際に勧められた方法を試してきました。
でも、どれも長続きしませんでした。
ぼくのやり方が悪かったのかもしれません。
ただ、効果を感じられなかったのです。
どうせこれも同じだろう、
そう思う自分がいたことは事実です。
ただ、どこかで自分を諦めたくない。
自分をもっと好きになって、
自分らしく明るい毎日を過ごしたい、
そう思う自分がいました。
これでダメなら諦めよう、
思い切って申し込みのボタンを押したのです。
仮決め・仮行動の力
オンラインの講座は、
基本的にのぶ先生の講義・解説の後、
個人個人がワークに取り組みます。
その後、二名〜四名程度のグループが作られ、
感じたこと、気づきなどを
それぞれがシェアする形で進みました。
正直に言います。最初の二ヶ月ほど、
ぼくは、ほとんどこのオンライン講座の効果を
感じることはありませんでした。
確かにのぶ先生、
他の受講生の言うことはもっともです。
そして、それに合わせて自分も発言をしていきます。
ただ、頭ではわかるのですが、
どうもすっきりしない。
いわゆる肚落ちしない状態が続きました。
ただそんな中でも、
一つだけ心に残る言葉がありました。
それが「仮で決めて、仮で動く」
仮決め・仮行動でした。
なぜこの言葉なのか。
理由はよくわかりませんでした。
ただ、これならできそうだ、と思ったのは確かです。
とは言え、ぼくが手をつけ始めたのは、
本当に呆れるほど小さなことでした。
洗濯機から一枚だけ服を取り出して干してみる。
洗い物のお皿一枚だけ洗う。
全部やらなくていい。一枚だけでいい。
そう仮で決めて、仮で動いてみる。
すると不思議なことが起きたのです。
一枚、そしてまた一枚、と手が動き続けるのです。
なるほど、これなら続くのかもしれない……
とは言え、洗濯機の中を見れば、
残りはまだまだたくさんあります。
どうにも気持ちがめげそうです。
ただ、ここでも気持ちを切り替えました。
全部やらなくてもいい。
仮でいい。
一枚だけでいいから。
気づくと洗濯機の半分ほどが空になっていました。
そして、こんな気持ちが芽生えてきたのです。
ここまできたなら、最後までやり切ろう。
洗い物でも同じことが起きました。
仮でいいから。
今、目の前の一枚に集中。
先のことは考えない、
そう言い聞かせていると、
最後までやり切ることができたのです。
そうか、こういうことなのかもしれない、
ぼくは動き始めるコツ、動き続けるコツが、
なんとなくつかめたような気がしました。
新しい自分への確信
その後の展開は、想像を超えるほどスムーズでした。
と言っても、
みなさんが驚くような大きな成果が出たわけではありません。
ただ、以前と比べたら驚くほど滑らかに、
そして、軽い気持ちで動けるようになっただけ。
でもぼくにとっては、それが大きな喜びでした。
家事においても、仕事においても、
考え過ぎず、仮で決めて、仮で動く。
うまくいけば、そのまま続けたらいい。
うまくいかなかったら、
また、仮で決めて、また動く。
試してみて、結果を見て。
それを受けて、また試してみて、結果を見る。
それをクルクルと繰り返していけばいいのです。
何事もおおごとにしないで、
軽く軽く、回し続ける。
そうすれば、自然と結果は付いてくる。
動いていれば、必ずどこかに辿り着く。
それはまるで、坂を下っていく自転車のようでした。
何もしないでもスイスイと進んでいくあの感じ、
と書いてみて、ふと気づきました。
いや、それは、決して坂道を自然と下っているわけじゃない。
そう、ぼくは学んだのです。
坂道を登るには、
自転車のギヤを変えればいいということを。
そうすれば、ペダルは軽くなり、
前へ前へ、上へ上へと、
ぼくは自分の力で進んでいけるのです。
そうです。仮決め、仮行動は、
ぼくを動かしてくれただけではなかったのです。
それは、与えてくれたのです。
ぼくには動く力があるという確信を。
そして、これからも
自分の力で前進し続けるという未来を。
人生のペダルを回し続ける
冒頭に書きました。
「仮」
この言葉があったからこそ、
ぼくは今、こんなふうに感じているのだと。
ぼくは今、間違いなく自分の人生を歩んでいる。
それはこれからもずっと輝き続け、
時と共により一層色鮮やかになっていくのだと。
今、ここでもう一度、宣言します。
仮決め、仮行動
ぼくは、この言葉と共に、
この先もずっと走り続けていこうと思います、
と書いてみて、やっぱり思い直しました。
「この先ずっと」
なんて大きな言葉は必要ないのかもしれません。
ぼくに必要なのは、
まずは目の前の一つ一つに真摯に取り組むこと。
大きく考え過ぎず、軽く、軽く、
仮・仮・仮とペダルを回し続けること。
そうやって未来に指差して進んでいこうと思います。
なんだか少し視線が上がったのは、
気のせいではないはずです。