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脳死作業中に考えてたこと
1.漂流
ベジータです。
僕の仕事の業務内容はルーティーン業務が多く、黙々とこなす系の作業があります。
その時は自然と何かしら考え事をしてるのですが、今日はかなり入り組んだことを考えてました。
それは 「楽しいって一体何だっけ」 です。
こう考えるに至った経緯としては、作業中にふと今まで僕が女の子にフラれてきた時の思い出を思い浮かべ、
「まぁ理由は大体俺と一緒にいて楽しくなかったって事だろうなぁ」
と脳内で呟いていたのですが、ここで疑念がはじまりました。
「一緒にいて楽しいか、、、、」
「ん?」
「あれ、楽しいってどういう状態だ?」
「俺、今まで人生で楽しいって思ったことあったっけ?」
「いやいや、さすがに楽しかったことぐらいいっぱいあるでしょ」
「旅行とか、スノボとか、学生のときとか、、、」
「ん? あれ本当に楽しかったっけ?」
後々考えればちょっとヤバい領域に心が入っていった気がしますが、ここで深淵へ沈みこんでいく思考を引き上げるもうひとつの声が聞こえました。
「いや、大きな枠組みで捉えると100%楽しいといえないだけだろ」
「事象を構成するひとつ一つの中の一瞬で楽しいと思えたことはたくさんあったはずだろ」
上記の例でいうと、学校は楽しくないけど帰りに寄り道してマックでお喋りした時は超楽しかった、というような。
「よく考えてみろ、一日で起きている時間が18時間だったとして、18時間ずっと楽しいなんてありえるのか。」
「そりゃあるにはあるのかもしれない(よっぽど特別な日とか)が、18時間のうち大体は別に楽しくない、なんなら嫌な時間も流れることが多いはず。」
「仮に18時間楽しかったとしても、18時間のなかで嫌なこと、別に楽しくもないこと、楽しいこと、色々あった場合の方が感じる楽しさが大きいのではないか。」
こんな感じに脳内で、前半後半の中で二人の自分が熱弁を振るってました。
これを踏まえてさらに考えてみると、
「完全無欠、最初から終わりまで楽しい出来事とはほとんど存在しないのではないか」
「という事は、楽しいことも楽しくないことも共存する時間・イベント・コミュニティ・人間関係で、いかに良い瞬間・良い一部分を見つけ、それを嚙み締められるか」
「それが、楽しさという感情のリアルな実態なのではなかろうか」
と脳内の声が流れました。(脳内音声の熱弁はこのへんにしときます)
2.帰還
今までの自分を振り返ってみると、あらゆる物事・事象のメリット・デメリットにおいて、デメリット側に意識を引っ張られる思考の偏りがあったような気がしました。
それゆえに気が散り、目の前の出来事に対して「今この瞬間」を体験しきれないことも多かった気がします。
そうなると良い瞬間・良い一部分を見つけづらくなり、「なんかつまんねぇ、別に面白くない」という感情に陥ってしまうこともありました。
まさに負の連鎖。
ということは「今この瞬間」を感じ取ることが大事ですね!!まさにマインドフルネス。
って事で瞑想やろうと思えました。今日はここまでにしておきます。