お弁当を作るというしごと

少しずつ回復してきた今、毎朝の夫へのお弁当作りが日課になっている。
言い換えるならこれは、自分を支えてくれる”しごと”かもしれない。

お弁当作りは頼まれてやっているのではなく、自分がやりたくてやっている。メニューの考案からお弁当箱への詰め方まで、食べる相手が喜んでくれることを第一に目指して作業するこの時間がとても楽しい。
そして、自分が楽しくてやっていることで受け手が幸せを感じてくれている、という一連の出来事がまた私を幸福にする。

ここでキーになってくるのが、
お弁当作りが他者から見ると、多くの場合
”頑張っている”という評価に繋がるということ。一般的には「大変なのに、ちゃんとやっている」「私にはできない」と評価されるような、金銭的報酬のない”仕事”のようなものかもしれないと、友人が貸してくれたある本を読んで考えた。

休職期間中、「私はみんなのように働いていない」という現実に苦しめられるのはつきもので、
その焦りをよそに心地よく休むというのは結構難しい。
日曜に友人達と「明日から頑張ろうね」と言えない。玄関で仕事に行く夫を送り出したあとの気持ち。雨の日に送り出した時なんかは、罪悪感の波はビッグウェーブだ。

お弁当作りはそんな苦しみを和らげてくれる。
稼いではいないけど、安心して自分を認められるような時間となっている。

私は現在、復職するか転職するか、転職するならどんな仕事をしたらいいか、毎日考えている。
そして、ふと思った。このお弁当作りのような仕事ができたら、それは私の理想だと。

自分が楽しめて、没頭できること。
ある人のためを思って作業をすること。
それが実際にその人に届き、広がっていくこと。
届ける人も受け取る人も、笑顔でいられること。

自分の身の回りにあるもの、起こっていること、その多くが労働者から作り出された幸せ。
お弁当を作っているときは、農家の人々、お弁当箱作りに関わった人々から幸せを受け取っている。他には素敵な音楽、映画、本。心躍る服や小物、化粧品。気持ちの良い接客だってそう。
色んな面倒な事、大変な事と向き合った多くの人々を通して、私の元に届いた幸せ。私もそういう人々のひとりだったこと。

こうしてみると、幸せの届け方には色々ある。そして幸せを届ける過程に沢山の苦労がある。
色々ある方法の中で、苦労しても自分が健康で、幸せでいられることを仕事にしたい。私にはやりたい事が沢山あるのだから。



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