~病院のベッドから、感謝を込めて~
※四柱推命の話じゃないです
私にありがち・・💦
みたくない人は飛ばしてくださいね~(*'▽')
ただの私の人生です
病院のベットからなのも、ただの検査
昼間に大腸カメラ検査が終わり、少し一息
麻酔してもらったのに、全然眠たくない(^^;
この前、胃カメラもしたから
しばらくは検査しません(笑)
ただただ、疲れました💦
これからも検査結果を聞くたびに
ドキドキするだろうし、何かあったとして
そのあとどうする?とか考える気もしない
結果はもちろん、おかげさまで
何も悪いものはなかった
心からホッとしましたm(__)m
あ、私、7年前に「胃がん」で胃がないです
(胃カメラするねって病院に言われるたびに
「胃」ないけどね・・って突っ込んでます(笑))
激動の人生①
子供の頃から、あの時、辛かったな~とか
孤独でも耐えられたのは、なんでだろう‥
子供だと、おとなしくするしかなかったから?
なのかなあ‥とか
父は感情の波が激しく、家族は顔色を伺いながら
生活していました
母とも、兄とも、子供の頃は、あまり話したことない
記憶にない
帰るのが少し遅いと、カギを閉められて
ドアに座って寄りかかって泣いていたことを覚えていたり
あるのは、嫌だったことばかり
家には、泊まり勤務の父親が一日おきにいて
あとは18時頃に帰宅する女性(母)
部屋にこもった人(兄)
そんな程度でした
感情的な父の面はあるけど
小さい頃、高熱の時
冷水のタオルで私のおでこの熱を
冷ますようにしてくれたのは
父親でした
だから、父の傲慢さは嫌いだったけど
我慢強くて、今思えば、繊細な父でした
特に高校は
ボロボロだったな~
一人で泣くことも多かった
二度と戻りたくないです
親のこと、友達とのこと
誰だって、子供の頃はそんなもん、、
そう、片付けるだろうけど
わりと子供の頃にどのような感情
過ごし方で育ったかが
トラウマとなって
大人になってストップがかかることも
多いと思っています
承認欲求って最近は良く見ますね
決して目立ちたいわけじゃない
単純に私はココにいてもいいんだという
わたしの生きてる意味
ホッとする場所を感じたかった
本当の自分に蓋をして生きてきたから
我儘、反論は言ったことは、ほぼない・・
いつも「すぐ泣く」って言われたり
よく考えたら、よくグレずに育ったよなあ‥(笑)
家出するような、度胸もなかったから
そんな私。
偏差値は低かったけど
私なりに勉強しました
怒られるからなのと
家にいても楽しくないから
学校の図書館で勉強したり・・
大学試験で奇跡的に点数が良かったのか
いい大学に入ることができました
(友達にも恵まれて家に帰りたくなくて
バイトも終電までしてました)
こういうのが私の浮上したときのラッキーかもです
入学してしばらく経った頃、
会うはずのない場所で父親の姿を見て何度見したかな?
親も私も目が合って、私は、すれ違う前に踵を返して
道を戻りました。友達が追いかけてきて
「どうしたと?」って。
嫌い・嫌い・嫌い・・
(高校の3年間の光景よりましかなあ・・)
でも、もう、限界だ・・って
初めて、親に文句を言った、辛かった
私は、親のお互いが知らないことを知っている
兄も知らない、出てくるのは涙だけ
それから「一人暮らし」させてもらえた
笑顔なんてこれっぽっちもなく
19歳まで、ずっと一人で生きてきた
だから
一人になる方が自由に過ごせたし
寂しいという感情はなくて
テレビも好きなドラマなど見られるだけで幸せで
アルバイトも何の苦でもなかったです
一番人生で楽しかった時期が
19歳から始まりました
Mr.childrenのことを好きになったのもこの頃
社会人になって、23歳 母は51才の頃、乳がんになりました
その頃は家から通っていたので
少しずつわだかまりもなくなり(初めは多少あったけど)
特に母の病気と闘う強さも見てきました
母の闘病を見てきたから、抗がん剤の副作用の怖さも知ってました
3年弱、一人暮らしをして自宅に戻った私
母の、険しい顔は見なくなって、それどころか
こんな笑顔で天然キャラの母だったんだって
今思えば、驚きます😯
母は、全摘してから、11年目に再発したので
やはり、癌って怖いなあって今も思います
ちなみに、両親と兄は「丙」ひのえ 太陽の人たちでした
え~!!って思いました、だって太陽は明るく、華やか
家に帰ると、揃いも揃ってどんよりしてたのは
ん~これだけが謎
太陽の人ってそういうところがあるみたいです
病み落ちしたら、真っ暗
それか、太陽が多すぎて
ケンケンしていたんでしょうか?(笑)
私は、樹木なので、太陽の光をもらい過ぎて
ドッと疲れていたのか?
日主(にっしゅ)だけで、性格が決まるわけでもないので
四柱推命‥
ちょっと親のことももう一度見てみようと思います~
そして・・私はというと。。
27歳で転勤族の人と結婚して、1年位して長女が産まれました
不妊治療して、子供を授かった時は、嬉しかった
義理の親に初めに報告したときは、遺伝子検査したら?って言われ
「え?遺伝子検査したら?って今言いました?」
おめでとう、とかじゃなく、そこ?
「遺伝子検査して、障害があるとしたら、堕ろすんですか?」
って聞きました
唖然としながら、夫の実家を出て帰宅途中に号泣です
出産してからも
「女の子」義理の母親は、それを聞いて
男じゃなかったの?とか、言ってたなあ・・
そんなこんなしつつも
知らない土地での子育て
2~3年おきの移動でも
子供がいるから、ま、いっかで
楽しく過ごしてきました
激動の人生②
41歳~激動の8年間を歩いてきたような
2016年、私の母が乳がんで旅立ち、翌年の春、父も急死しました
そしてその数ヶ月後、私も胃がんと診断されるという出来事がありました
正直なところ、当時の記憶は曖昧です
会社でも初の、がん患者ということで、
アタフタしてました
過酷すぎて心が追いつかず、ただ前に進むしかなかった…
抗がん剤治療も選べたのですが、というか
先生にはかなり進められました
生存率が飲むことで変わるからって
点滴は無理って言って
だから、少しだけ、錠剤だけにしてもらって
飲みました
でもね
お口の中の粘膜が薄くなって、炎症して
ただでさえ、ご飯が食べづらいのに
口とのどの痛みで
痩せる一方、、
苦しくて苦しくてこれ以上
副作用に耐えられる自信がなく
お薬飲みながら、うつうつと暮らすより
笑顔で過ごす日々を選びました
これを許してくれた
先生には、心から感謝してます
私のお腹って、胃も全摘
リンパもとってるのに
腹腔鏡手術だから
キレーにしてるんです✨
中学の時に盲腸の手術した先生の方が
よほど、へたっぴです(笑)
という訳で抗がん剤を飲まなかったことで
5年生存率は下がりましたが
結果がどうであれ、私の選んだ道だったから
後悔はしてません
(これは、人それぞれなので、本人が納得するやり方が
いいと思います!)
それと、私が今生きているのは奇跡です
私は、くじ運、ライブ運とか、関わる人の人柄の
運気をアップさせるなにか持ってると自分で
思っているんですよ、これマジで
それからの数年間は、心が休まる暇もなく駆け抜けました
胃の手術の後遺症、生活のゴタゴタ、そして離婚…気づけば
一番自分が「心身ともに健康!」という目標から
遠ざかっていた気がします
でも、この経験を通して
「何か誰かの力になれるものを残したい」
と思うようになりました
そうして始めたのが、四柱推命と心のケアの勉強です
簡単には覚えられないこともあるし
人の心とは、想像を越えています
一人で抱えてきたように思っていましたが
私には心強い娘が二人もいて
彼女たちがしっかりと成長している姿が私の励みになっています
そして、ここで改めて
今まで関わってくれた方に感謝の気持ちを伝えたいです
音信不通な方もいますが、皆に感謝しています
お別れみたいに書いてますね
まだまだ長生きするつもりです(笑)
皆さんと子供と過ごす日々を大切にしていきたいと思っています
※私のような気持でもしいま
過ごしていらっしゃる方がいるとしたら※
他人に頼めるようなことはないかもしれない
でも、連絡してほしいです。
何もできないじゃんって思うかもしれない
私もそうだった
でも、話すだけで、こうやって文章にするだけで
少し救われるような気持と
辛かった時の自分になんて言ってあげられるか
考えながら、私は日々過ごしているから
大丈夫、貴方だけじゃない
苦しまないで、悩まないで、素直になっていいんです
だから、自分はどんな自分でもいいんだ
ちゃんと、いま、頑張っている分、素敵な痛みの分かる
しっかりした大人になれます
応援しています