アドラー心理学で気づいた 現実と理想
末っ子息子が高校生になり、思春期の峠を少し越した。中学生の頃はぼさぼさの髪で登校し、どよーんと暗い雰囲気だった。高校生になると髪を奇麗にし、眉を整えさっぱりした表情で登校する。電車では中学生の時に目が合った瞬間に逃げていった息子が私の隣に座ってよく話す。一言でいえば「憑き物がとれた」状態だ。ホルモンバランスが整って、気持ちが安定してきたようだ。
アドラー心理学の勉強会に参加し、私の悩みを聞いてもらい安心するとゆとりができた。ホルモンの変化から嵐の中にいるかのような息子をまるっと信じて見守るように心掛けた。つい感情的になる自分に深呼吸し、この先「どうなりたいか」をイメージする。「息子と良い関係を築きたい」ならば息子がいやがることはしない。ただ、見守る。息子から声を掛けてきた時に対応する。長男の時にはしきれなかったなぁと後悔している。長男、ごめんなさい。
悩みは現実と理想がかけ離れたことから生まれる。次々と湧き出る理想を追い求めても、満たされることは少なく、もがき悲しむことが大半だった。
悩んだところで、現実は次々と変化する。あんなに悩んだのに過ぎてしまえば忘れてしまう。なにもせず悩むほど無駄な時間はないと気づいた。
悩むくらいなら、動く。慌てず、ゆっくりと 周りの状況をよく見て動く。
いつも変わらないものなどなく、状況は水の流れの様に変化していく。
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