中学生の頃。
わたしが入った中学は、歩いて40分かかるマンモス校。なんせひと学年20クラス以上。
誰と同じクラスかなんて考える必要ないぐらい、同じ小学校の人たちとはバラバラ。
インド人みたいな顔の濃い担任と、ものまねが得意な双子の男子のカタワレと、絵を描くのが上手い双子の女子カタワレと、病気の治療中で髪の毛がない女の子と(何の病気かはそう言えば知らない。けど後々ちゃんと髪の毛生えてきてたはず)
初めましての人ばかりのクラスになって、すぐ仲良くなって、すぐみんなで遊ぶようになった気がする。
女子カタワレがみんなの似顔絵をノートに描いて、たいして似てはないけれど、全員の顔を描いたら担任が褒めたものだからクラスの人気者になり、休み時間になるとその子の周りに女の子が集まるようになってた。
行かなきゃいけないその感じがめんどくさくなり、わたしはクラスのさばさばした子と仲良くしてたんだけど、なぜか、わたしが外れることが気にくわないらしいカタワレ。わたしをその子と引き剥がそうとしてきた。
だからと言って、わたしのことが好きなのかと言えば違うようで、ピアノが弾けたわたしが音楽の時間でパートリーダーになり、オルガンでメロディーを取るんだけど、わたしにオルガンを弾かせたくないようで、あの手この手で弾かせないようにしてくる。
「さっちゃんが歌わないと、みんなの声が小さくなっちゃうから〜。」
で、今度はわたしが歌ったら歌ったで、
「さっちゃんて、歌手の歌い方真似して歌うよねぇ〜。」と、嫌そうに言う。
と思えば、やたらくっついてくるときがあったり。
今思えば、わたしが目立つのがとにかく嫌だったんだと思う。正直顔も可愛くない子だったけど、人懐っこさと人気がある勢いでモテて、わたしが両想いだった人もさくっと奪われた。モノマネのうまいカタワレの彼。
その子だけではなく、隣のクラスの女子にも何故かコソコソ言われたことがあって。
体育の授業が隣の女子と合同なのだけれど、バレーの授業でクラス対抗の練習試合のとき。なぜか試合の間に、
「さっちゃんが文句を言ってるらしい」
と噂がたつ。全く身に覚えもない。
なんか、要するにわたし悪目立ちするようで。
これ、高校でも大学でも、後々何度も出てきます。多分ここらへんも、自己肯定感下がっていくきっかけのひとつ。
でも、そのときにそうじゃないよと、ちゃんと伝えてないわたしもダメなんだよね。
そんなこんなで二年生になり、家から10分の新学校が出来てマンモス校が半分に割れ、他の中学からも生徒が混じり、全く新しい世界。
新しいクラスでは、有名ヤンキー女子がわたしをなぜか気に入り、わたしもその子が好きだったから一緒に過ごすようになり、
その当時まだ珍しかったアメリカハーフの女の子とも仲良くなって、すごく楽しい日々になった。
小学校のときにいじめてきた子も同じクラスだったんだけど、ヤンキー女子が気に食わないからシメルと言うからついていったり。笑
クラスの副委員長にも選ばれ、学年委員会という各クラスの委員長&副委員長で集まり、学年便りを書いたり、イベントを考えたり、放課後遅くまで残ってそれもとっても楽しくて。
スイミングに間に合うように帰れたのに、最後までいたいから練習遅れてばっかりいて。
楽しくて楽しくて、
初めて水泳を辞めたいと思った。
みんなと一緒に過ごしたい〜って。
だから、次の大会でタイム悪かったら水泳やめようかなって、お父さんに話した日があった。
お父さん、突然すぎて驚いて、もちろんいいよとは言わなかったけど、そういえば何も文句言わなかったし怒らなかった。
これを書いていてふと思い出したこのこと。
わたしは息子が突然水泳辞めるって言ったら、ちゃんと話を聞く前にイラッとして怒ってしまいそうな気がするから、お父さんのわたしへの接し方ってちょっとすごいなって思う。
いやでも、超厳しかったんだけどね。
その頃は今ほど世間がうるさくないので、担任がクラスのみんなで山登りをしに行こうと提案してくれたときがあって。(先生が山男だった)
うちの親、水泳に影響があったら困るからと参加を認めてくれなかった。
三者面談のときに、担任が母親を説得してくれようと話をしてくれたのに母親キレて話を聞かず。
うちのことに口出すなみたいな。
でもこれって、母親の意見ではなく、父親の意見。それを代わりにしゃべってるだけ。
結局わたしは行けなかった。
でも、その担任が親に対して意見してくれたこと、すごく感謝してるし、今でも本当に心に残っている出来事のひとつ。本当に嬉しかった。
ひたすら楽しかった二年生を終え、三年生のクラスは、なんかね、いい子ちゃんがたくさんいたなー。
わたしはハーフの子とまた同じクラスになったのでその子とつるんでたけど、いい子ちゃんたちが男女10人とかで仲良し爽やか。
もちろん入ることも出来たし、避けられてるわけでもなかったけど、わたしはスイミングが忙しくて、ハーフの子は柔道をやっていたから、放課後みんなが集まるところには行けなくて。
…行きたくなかった、も半分かな、理由は今でもよくわからない。
そんないい子ちゃんクラスで、担任は潔癖英語teacher。板書がばかみたいにキレイで、真似して超キレイにノート写しをしてたら、成績がすごく良かった。
担任の結婚式の余興にも呼んでもらって、そのときの思い出がとても強くて、わたしも後々教え子を結婚式に呼ぶのだけれど。
そんなあっという間の三年間。
水泳はと言うと、全国大会で決勝は残るけれど、上位ではなく。かたや、この間まで競り合ってた子は全国優勝。そしてオリンピック。
この子との関わりもまた、わたしの人生に影響を与えているんだとわたしは感じてる。
その子は全くそんなことないだろうけれど。
その話はまた、改めて。母に並び、あまり振り返りたくないもう一つなので。
そうして、水泳推薦にて高校に入学するのでした。
つづく。
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