目が見えなくてもできることはある。
盲目の整体師、高野をサポートしているささきです。
「目が見えない」というのは
みなさんのご想像の通り、
できないことだらけです。
先日、私は岡山に住んでいた時代の友人に会いに
倉敷に行ってきましたが・・・
カフェでランチ後、大原美術館に女3人で入り、、
絵を見ながら、
「綺麗ね」「すごいね!」と語りながら
美術館の中をめぐりました。
高野と一緒だとこんな優雅な美術鑑賞はできません。
一枚一枚の絵の前で、何が描いてあるか、
私が説明し続けなければなりません!!
一周する頃には喉がカラカラになり、
第一、私は静寂の美術館の中で、とめどなくしゃべり続ける
迷惑な人になってしまいます。
(実際にこういうことがあったのです)
目が見えないと・・・
美術・絵画鑑賞→困難。
車の運転→不可。
映像系のゲーム→不可。
火や刃物を使う→困難(危ないので)。
その他もろもろ→不可か困難なこと多数。
だから日々の生活にサポートが必要なわけですが・・・
かと言って、高野がサポートされっぱなしというわけではないことを
今回はお話しようと思います。
もちろん、整体師ですから、
当然、整体やマッサージはできます。
ですが、もっとささやかなことで、
身近にいる私が助かっていることを
書いてみたいと思います。
実は整体院のトイレ掃除は、高野が担当しています。
開院当初は私がやっていたのですが、、
家庭で最近よく言われる「名もなき家事」と同じで
整体院でも、こまごまとしたことが多くて
「追いつかない!!」となり、、
高野にお願いしたところ、
快く、引き受けてくれました。
スペースが限られているトイレ掃除は、
障害物の多い院内の掃除機かけなどよりも
目が見えなくても、やりやすいようなのです。
今では、トイレの洗剤や除菌シートがなくなりかけたとき、
「もうすぐなくなる」と言ってくれるので、
私はそれを聞いてから
ドラッグストアに買い出しにいくことができ、
助かっています。
また荷物持ちとしても優秀です。
買い物に行ったときに重い荷物を持ってくれるのですが、、
その日私が買ったのは、
「本棚(カラーボックス)」でした。
うっかり、徒歩で近所のホームセンターに行ってしまい、、
特価で安くなっていたので、思わず購入したのですが、、
小型の本棚とは言え、重い段ボールを
私に持たせることなく、、徒歩10分の道のりを運んでくれたのでした。。
(私は高野の腕を持って道案内)
他にも・・・
★整体用タオルの洗濯と管理
(天気予報を調べて室内に干すか外に干すか決めている)
★食事後にテーブルを除菌シートで拭き、整体院の換気のため窓を開け、
ファブリーズで消臭する。
★「長生きみそ汁」(健康維持のために毎日飲んでいるみそ汁)の材料の
玉ねぎをすりおろす。などなど・・・
これらのことは
目が見えていれば
「できる」というほどのことではないかもしれませんし、
完璧ではないかもしれません。
実際、整体院のトイレのゴミ箱やサニタリーボックスを
チェックしてごみ捨てをするのは私ですし、
プラスドライバーを使って
本棚を組み立てるのも私です。
玉ねぎの外側の皮をはぐのも私です。
ですが、
「目が見えないから」それは「できない」と思い、
高野に「何もさせない」「してもらわない」ままだったとしたら、、
私は細かい仕事の山に、いやになっていたでしょうし、
高野も整体とパソコン以外はできない、
生活力のない人間になっていくでしょう。
もちろん、、危険なことは避けなければいけませんし、
また性格的なものや得意、不得意は考えなければならないでしょうが、、
高野がしていることが、
全行程のうちの、ある部分だけだったとしても、
「支援される側」「守られる側」に甘んじているのではなく、、
対等に仕事や労働を分け合っている、、
協力し合えている、、という感じがして
私は嬉しいのです。。
たとえ身体障がい者だったとしても
何かの役割があって、
それが「誰かの役に立っている」ということ。
それが、自信になって、
より幸せを感じられるのではないかと
私は思っています(^^