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8月2日怒涛の連続手術終わって

さて、そんなこんなで
喉が詰まっていて苦しい夜を過ごし、
たまーに出てくる咳に悶絶しながら
朝を迎えた訳です。

時は8月2日、金曜日。
さすがに連チャン手術の後の
朝食はかなりしんどくて
またそんな日によりにもよって
バナナがゴローン!
…食べられるもんじゃない。

ちなみに、初日手術の時は
術後数時間で
看護師さんが携帯を持ってきてくれて
何人かに連絡を取る余裕もあったし
酸素マスクの自分を記念撮影する余裕まであった。

けど、2日目は
携帯を要求する気力すら沸かず…
心配してくれてる人が沢山いるのは
分かっているから、連絡を送りたいけど
さすがに無理…でした。

結局2日目、回復室から戻ったのは
お昼ご飯食べた後の午後。
なんだか看護師さんも色々忙しそうで
離床って、めっちゃ時間かかるんですよね。
起き上がって、立ち上がって、
数歩歩けるが分かってから
もう一度座ったり寝て尿管を抜いて
そこから身体拭いて術着から病床衣に。
そして部屋まで歩くのを見守ってから
ベッドを移動させてくると。
なんだかんだで、30分以上
しっかりと事故が起きないように
見守ってくれているわけです、ありがたい。

この離床も、二日連続でやったわけですが笑
看護師さんによって
全然フォローの仕方が違うのがまた面白い。
初日は、割と若い看護師さんだったんで、
不慣れながらも物凄く丁寧に
沢山手助けしてくれて、だったのですが
二日目の看護師さんはベテランで、
身体拭くのも
「はい、自分でやりましょう!」と
しっかりとスパルタというか
流石経験豊富、という感じでした。

まあ、そうして
やっとお昼すぎに
再び自分の部屋まで辿り着けました。

再手術だった影響か
点滴も毎日投与され(血管を拡張するもので一週間毎日…通常は二、三日)
そして、やたらと主治医を含め
皆が繋ぎ合わせ直した血管の音を聞きにくる。
通常でも、血管が安定してくるまでは
細かく先生たちは心配して下さりますが
私の場合はそれがもう、数十倍になった感じ。
過保護のお母さんが5人くらいいるイメージで
数時間おきに、血管のシュコーンシュコーン
という音を聞きながら過ごすことになったのでした。

そして、最初からのものも再手術のも含め
ドレーンパックやら点滴やら、
腹部陰圧する機械やら
大量のものを点滴台にぶら下げて
トイレ一つでもしんどい往復なのでした。

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