初めまして。
登録はしていたものの、まったくなんも使ってなかったのでちょっと書いてみようかと思う。
メインは雑談ですが、たまに映画や小説の話も書きます。
趣味で小説も書いているのでその話をしたりも。こちらはスマートフォンで記入しているので段落などの見にくさはご容赦ください。
さて。じゃあ何を書こうと思ったのだが、ふと思い出した子供の頃の話を書こうと思う。短い話なのでぜひお付き合い願いたい。
私は山奥の鉱山町で生まれ育った。小学生の頃はまだバブルの名残もあり、遠くの採掘現場のダイナマイトの音も小さく聞こえた。第三セクターのディーゼルの汽車が走っており、鉱山の副産物の薬品のタンク車がずらりと連なっていた。
私が生まれる前は花街などもあったらしいが、少しずつ街が縮んでいく気配はあったと思う。
前置きが長くなってしまった。
まあ昭和の田舎の子供らしく、小学生の頃は下校すればランドセルを放り出して外で遊び回っていた。
神社にちょっとした山、遊ぶところは沢山あり、今とは違って親に言い含められたこと以外はかなり無茶な遊びもしていたと思う。田舎だしね。
そんな私たちのお気に入りの遊び場の一つに町役場があった。バブルと鉱山の恩恵を浴びまくっていた時代に有名建築家が設計したそれはとてもモダンな建物で、周りにはぐるりと広いピロティーと芝生があった。
有名建築家あるあるで雨漏りなどがひどかったらしいが私たちには関係ない。意図のわからない広い階段や椅子のようなもの、それらを使って遊んで遊びまくって喉が乾けば役場内のウォータークーラーに群がっていた。駄菓子屋も自販機もあったが、毎日100円もらえる子なんて特別貧乏じゃなくてもいなかった。
さて、そんなある日だ。キャーキャーといつものように遊んでいると、どこからかふらりと男の人が近づいてきた。
男の人といっても高校生だが、小学生からしてみれば高校生なんてほぼ大人だ。実際私の姉と弟は9つ離れているが、姉が高校の頃は小学生の弟の遊び相手なんてしていなかった。
私たちは少しびびっていた。なんなんだろ。なんかうるさかったのかな。怖い。
が、そのお兄さんは遊んでやるよ、と言った。なんでも直ぐ近くに住んでいるという。
そしてガチで、遊んでくれた。順番に肩車をしてくれてピロティーから駐車場からダッシュで走り回ってくれるのだ。もうジェットコースター。ビビリの私は楽しいけどちょっと怖かった。
そして散々真剣に私たちと遊んでくれた後、家がどこにあるか教えてくれて、またな、と帰って行った。本当に近所だったので、もう嬉しくて仕方なかった私たちは絶対また遊んでもらおう!と喜びいさんで家にそれぞれ帰った。
で、だ。子供なので、お兄さんと遊んで欲しい私たちは素直にお兄さんの家に行った。チャイムを鳴らすとお母さんと思しき人が出てきて、突然現れた小学生軍団に少し驚いていたと思う。
そこで先日の経緯を話し、お兄さんが在宅をしているのかを聞いたのだが、お母さんは少し困った顔で今日はまだ帰っていないのよ、と言った。
そっか、それなら仕方ないよね。私たちはさよならと言っていつものように遊んで、いつものように家に帰った。
でも、もうその後お兄さんの家に訪れることはなかった。
なんだか少し、ほんの少し妙な感じがしたのだ。留守だ、と言ったお母さんの顔に。
小学生とはいえ、本能はある。その顔を見て、態度を見て、もうきっとお兄さんを誘ってはいけないとみんな思った。口には出さなかったけど、思った。そしてお兄さんの話は誰もしなくなった。
今思えば、小学生が下校して遊びまくってる時間帯なんて高校生は学校にいるだろう。町には二つの高校があったが、どちらも下校には早い。
そしてお兄さんは私服だった。平日なのに。ちょっと早い時間帯なのに。
すごく楽しかった。優しいお兄さんだった。見た目も普通だったと思う。
でも、なんだか、少しだけ、何かが今でも引っかかっているのだ。
悪い言い方をしてしまえば、お兄さんは学校に行っていなかったのかもしれない。家庭内で何かあったのかもしれない。お兄さん自体がもしかしかしたら精神障害などを持っていたのかもしれない。だからあのお母さんは少し困った顔をしていたのか。今だったら事案かもしれない。
でも小学生だった私の記憶にあるお兄さんは、すごく優しくて楽しくてかっこいいお兄さんだったのだ。
年齢差から考えると今は50を過ぎているだろう。
お兄さんは、今、どこで何をしているのだろうか。
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