【#04】 2021年10月9日、僕は障害者になった。その4
目覚めてからが大変だった。
先ず、起きたら右腕(健側)を縛られていた。
あの時の僕は※せん妄状態だったのだろう。
後から家族に言われたのは、あの時のあなたはナースコールを押しまくったり叫んだりしてたのよ。と言われた。マジで何にも覚えてない。
この時はぼんやりとここは病院なんだ。僕は倒れてしまったのだ。ってのは分かってはいたけどあまりに薄暗い病室と縛られた腕を見て僕は、
『捕まってしまった。早くここから逃げないと』と思っていたのを今でも覚えている。
先ず、ここは何階なのか。どーやったら逃げれるのか。ずっと考えてた。
歩けないとしても看護師さんを脅した後に車椅子でタクシー乗り場まで行けばあとはお金も含めて何とかなるだろう。と本気で思っていた。
鼻には管が刺さり、ご飯は1日2回のゼリー。
目を覚ましてから3日後くらいの時だったか、ゼリーから病院食になった。
ドロドロのお粥と元は何だったのかわからないくらい刻んであるおかず。
ほら!ずーみーさん!これ食べないと鼻の管抜けませんよ!と言われ、大してお腹も空いてないのに頑張って食べた。あんまり美味しくなかったのを覚えてる🥺
頑張ってドロドロのお粥を食べて何日かした時鼻の管が抜けた。相変わらずトイレには行けずにいたが、チューブを刺されていたのでおしっこはチューブにしていた。
あまり食べてなかったのかお通じは全然出なかった。
床擦れ防止の為に看護師さんが1日に何回かシーツを持ち上げて僕の体をゴロンゴロンしてくれた。これが本当に痛かった。体重あるからか4人がかりだったもんな…みんな歯を食いしばってたもんな…。看護師さん達ありがとうございました。
スマホも持たされておらずとにかく暇だった。この時はICLから出て大部屋に居たので隣の人がかけているラジオだけが僕の楽しみだった。
そんな時に家族からの差し入れでラジオ付きCDプレイヤーが来た。
『いやいや、スマホ持ってきてくれよ!』と思ったけど看護師さんから息子さんはスマホいらないって言ってますって言われたらしい。真偽は分からないけどこの時の僕はせん妄状態だから何を言ってたとしてもおかしくないか。
とにかくCDプレイヤーが来てモノクロだった僕の入院生活に色が付いた。
先ず、ラジオを聴いた。名古屋にいた時に聴いていた声がラジオから流れてきてとても安堵した。
CDは弟が選んでくれたBANKBANDの『沿志奏逢4』
僕はミスチルがとにかく好きでBANKBANDはボーカルの櫻井さんが参加しているバンドになる。
あぁ、倒れる前に発売を楽しみにして聴きたかったCDだなぁ。と思ったのを覚えている。
CDにはLIVEバージョンも入っていて
小田和正の緑の街も入っていた。
忘れられない人がいる。どうしても会いたくて。
彼女はどうしているだろうか。
早く連絡をしたい。
そう思いながらも日々の検査を受けるずーみーであった。
つづく
※せん妄とは…ボーッとしたり、つじつまの合わない話をしたり、昼夜のリズムが乱れたり(昼間にウトウトして夜間は眠れない)、夕方あたりからソワソワと落ち着かなくなったり、現実にはないものが見えたり、時間・場所が分からなくなったりするなどの症状が生じる事
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