仙台
人生初の出張で仙台へ。
仙台は以前に一度だけ通過したことがあり、その時の事は思い出せるうちにnoteで残そうと思う。
二十歳過ぎの頃父が亡くなった。
高校卒業後、進学も就職もせずフリーターとして働き、それと同時期に父は病気になった。
「鬱病」
未だこの病気だったのかもわからないが、初めは軽度な鬱病だった。
連れて安定剤、睡眠剤を服用するようになり、瞬く間に抗不安剤依存に陥った。
大黒柱だった彼が病に倒れ、間も無く家庭は崩れ、たった一年弱の間に入退院を三度繰り返した。家族の形や人生、暮らしは素早く変わり果てた。
台所の小さなゴミ箱を見るのが怖かった。
希死念慮はなかったと思うが、救急車を呼ぶと警察に同行されることもあった。
正直、必要のない知識ばかり身に付けていた三年間だった。
その生活の中で実家を維持できなくなり、私は高校卒業の頃から目標にしていた、札幌に移住を決めた。
私の札幌での知己以外には単身移住と伝えているが、母も行く当てがなく共に移住をしている。
さて、ここまでは仙台の思い出を書く為必要なただの敷衍であるが、冒頭の通り通過をしただけで当地に足を付けたのは、今回の出張が初めてである。
札幌に移住し、数ヶ月した頃に姉から電話がかかってきた。
「ぱぱしんじゃった」
それ以外は覚えてない。
ただほっとした自分がいたことは覚えてる。
辛かった。だが「終わったんだな」が勝ってしまったのは認めてしまわないと、自分に悪い気がした。
札幌に移住してから、数ヶ月職にあぶれ、漸く内定を取った頃で、帰省費用がなかった。
[札幌→函館→フェリーで大間→仙台まで一般道→仙台から東北道]
過酷だった。
25時間縷縷として運転し、仙台は朝焼けが美しく、道が狭く、インターの入り方が複雑すぎる。滞在時間は三十分もなかったが、仙台大観音を目を擦りながら不思議に眺めていたことを微かに覚えている。
片足も付けてないし、そんな記憶しかない。
改めて来ると仙台は、ええ、とても良い。名を聞くだけで郷愁を感じる4号バイパス。息詰まったら「leoon legend」をかけ、1人夜中の4号線をドライブすると今でもなんとかなる気がする。
こんなのは余談でしかないが、ただ物書きたった。
「恨んじゃダメだよ」
帰省した際にそんな言葉を浴びさられた事があった。
とんでもない。笑うほかない。甚だ絶望も味わったが感謝しかないのだから。
音楽フリークだった彼はビートルズもビリージョエルも矢沢永吉も書き始めたら限りない物を与えてくれた。
夜中までYouTubeで60'sを見ながら煙草をふかしたあの時間が二度と手に入らないことがどんなにも悲しい。
下戸な私だが金麦の一本だけでも付き合えば良かったな。
そんなことを帰りの飛行機で考えていた。
あとがき
noteを始めた理由は影響されやすい私の体質のおかげです。
札幌で出会った頭の下がる友人が
「この人は大丈夫だろうと人には公開してる」
とLINEVOOMに数年投稿している日記を公開してくれました。
日記といっても、毎日の訳ではなく出掛けた際に起こった出来事や感じた事を赤裸々に記録し投稿しているブログのようなものでした。
あまりの面白さに度肝を抜かれたのです。
元より何かの形で吐き出したかった私にとって、その日記が契機になりました。
取分け誰かに読んでもらいたいわけでもないのです。
ただホームムービーのように振り返る。
その頃はどう感じるかわからないが、過去も今も未来もきっと斯様なものです。
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