第37章 今・ここ・この瞬間
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https://www.youtube.com/watch?v=sHe7bOYEGSc&list=PLi8ekn66taKt5h69_Rd7Rv_oNI3aIlssm&index=37
他人のために生きるという「考え方」を持つと、人はそこから思考を働かせ始めます。「どうすればいいだろうか」と。このとき人は、今ではなく未来のために、この今という瞬間を投資し始めます。
我々人類は永い永い間、「今」というこの瞬間を、未来の「いつか」のために費やし続けてきました。どうぞ自分のために生きて下さい。ためらうことなく。もう、この「今」というかけがえのない瞬間を未来のために消費するのを止めてみませんか?
自分のために、わがままに生きれば生きるほど、あなたの肉体の中を流れるエネルギー量が徐々に増えていきます。
呼吸を感じてみて下さい。あなたの吐く息、吸う息、その呼吸とともにあなたの肉体を流れるエネルギーを感じてみて下さい。もしあまり感じられないなら、あなたはもっとわがままになる必要があります。
「よく分からない」などという思いは不必要です。うまく感じられないなら、是非もっとわがままになってみて下さい。あなたにはその勇気が必要です。わがままになる事によるまわりの人との葛藤を恐れないで下さい。
そのストレスの処置の仕方さえ間違えなければ、そのストレスこそがあなたをどんどん活性化させていくことでしょう。わがままになれない事によるストレスがあっても、それを利用して下さい。
ストレスを恐れる必要はありません。素直にそのストレスそのものを受け入れ、感じてあげて下さい。赤子のように。ただその感情を体験して下さい。全て、ある事を批判することなく。
咎めることを止めることです。批判する心に気づいていて下さい。批判には何の価値もありません。責めないで下さい。裁かないで下さい。それが自分であっても、他人であっても。「私はもう人を裁かない」。
これをモットーにしてみて下さい。「私はもう人を咎めない」この言葉を繰り返し、繰り返し唱え続けてみて下さい。どうぞ根気よくやって下さい。「また咎めてしまった」などと咎めることなく。
「咎める思い」こそが我々を今のこの心の位置に釘付けにしている原因です。ですから例えあなたを咎める人がいたとしても、その人をどうぞ咎めないで下さい。
あなたが人から咎められることによってストレスを感じているとしたら、あなたはその時、間違いなくその人を咎めているはずです。どうぞ勇気を持ってこのことに気づいて下さい。
それが簡単なことであるとは言いません。ですがあなたが自分を救う道はここにしかないからです。この「咎めない」という真理を自分自身にだけ向け、他人を裁く道具には使わないで下さい。
あなたが「うまくいっていない」と感じている時、きっとあなたは何かを咎めています。批判しています。それを探して下さい。あなたの中の咎める心が、批判する心が、今あなたの外側に投影されているだけなのです。
「ああすればいいのに」という思いがわいたらそれが批判する心です。「こうした方がいいのに」と思った瞬間それは裁く心の現れであることに気づいて下さい。「何でそんなことをするの」、それは正しくないというジャッジです。
毎瞬毎瞬、自分の下している判断にしっかりと気づいて下さい。そんな判断する心から離れて下さい。「批判は必要ないのだ」という言葉を思い出して下さい。
「でも、こうした方がうまくいくじゃないですか」きっとそう思われる事でしょう。そんな「うまくいくこと」は無数にあるはずです。しかし「うまくやる」生き方から少し離れてみて欲しいのです。
「そんなことをしたら、みすみす失敗するじゃないか」と反論する心が起きることも承知で言っています。それが必ずしも失敗する訳ではないという事をぜひ身をもって体験して欲しいからです。
良いからする、良くないからしない、そういう習慣は、基本的に恐れから創られました。恐れから始まった事は全てあまりうまくいきません。「いいから」とか「よくないから」という判断から行動するのではなく、全てをゆだねて瞬間を生きてみませんか。今したい事を自分に許す生き方です。後の事など考えずに・・・。
約束に縛られてはいませんか? 「決めたのだからやらないといけない」と、自分で作った計画に縛られてはいませんか? 決めたのは過去の事です。そんな過去に縛られる必要はありません。
突然舞い込んだ誘いの電話、きのうした約束を果たすことを優先させるか、今この誘いの電話を優先させるか。こんな時、これまでのように「良い」か「悪い」かによって判断するのではなく、その瞬間の自分の気持ちをどうぞ優先させてみて下さい。
「この方が効率がいい」このような効率を優先させようとする考え方も我々の心を比較の世界に釘付けにします。効率的という考え方がどれほど我々の意識を時間の中に閉じこめている事でしょう。創造した者が、創造された者の意識の中に深く落ち込んでしまったままです。想いによって創造する者に効率的という発想は皆無です。
我々の意識をこの「今」という瞬間から引き離してしまう根元が、我々の恐れです。そしてその恐れを起こす元が効率追求という思考であり、そしてもうひとつが価値観です。「これよりもこの方が大切である」という考えです。「遊びより仕事の方が大切」これが今の常識でしょう。
でも本当にそうでしょうか? 「お母さんは今これがしたいのよ、今あなたのことには関わっていられない。何時までにこれをしないといけないのよ」こんな心の葛藤を何度となく体験しているはずです。本当にそれはそうなのでしょうか?
「何時までにこれをやってしまわないと」と、決めているのは誰でしょうか? そして「今遊んで」とせがむ子供に意識を向けてあげられないのはどうしてでしょう。「体が二つないから出来ないのよ」と言い訳する自分に気づいて下さい。創造主であるあなたが「出来ない」と決めているのですから出来るはずがありません。
でも「いや私は創造主なのだから不可能なことはない。私は今この子をかまってあげられるし、やり遂げねばならないことが他にあるとしたらきっとそれも出来るはずだ」と、創造主であるあなたが決めさえすれば、必ず両方を満たすことが可能です。その時必要な時間が生みだされるからです。
こうしてあなたは、自分が創造主であった自信を取り戻してゆくことになります。それが確信となり、これまでのように時間に縛られる生活から離脱できるようになってきます。大切なことは将来のいつかではなく、今この瞬間であることがわかります。
今、目の前に道に迷った子猫がいたとして、もしそのことが気に掛かるのであればその子猫の面倒を見て上げて下さい。急がないと友達との待ち合わせの時間に間に合わないという心配があったとしても。遅れたらどうしようという未来のことに意識を向けるのではなく、今、目の前にいる子猫に意識を向けてみて下さい。
今したいことをして下さい。そうしたら、本当に先のことは心配する必要はなかったという結果を迎えることは明らかです。宇宙には今この瞬間しかないのですから。今心が満たされれば、その結果が次の瞬間のあなたの心を満たすからです。
今、気になる子猫を放っておいて、友達との約束の時間に間にあったとします。「あー、やっぱり子猫の事なんか放っておいて良かった。友達との信頼関係の方が大切だ。私は大切なモノを守ることが出来た。
やっぱり生きていくためには多少の犠牲は付き物よ。私には守るべき大切なモノがある」と、あなたはこれまで通りの信念を強固にしてしまいます。これまで通り、あなたの正しさの中で生きていくか、それとも少し冒険をして自分のしたいことを自分に許してみるか、ぜひチャレンジしてみて下さい。
それにパスしたら次がやってきます。もっと難度の高いモノに挑戦させられます。あなたの中で全てのモノの価値観が等しくなるまで・・・。子猫と友達という簡単なモノでは済まされません。「自分にはやるべき仕事がある」こんな考え方を持っていると、その考えを突き崩すため、次々とその仕事に対する邪魔が起きてきます。
あなたにはやり遂げねばならないことなんか何一つないからです。あなたの目に映じている、唯一の現実であると錯覚をしているこの世界で、あなたがやり遂げるべき仕事などなにもありません。
自分の方が正しいとする心、これが咎めの張本人です。咎めた瞬間、あなたは自我というミクロコスモスの中にあなたの意識を閉じこめます。その瞬間、「今、ここ」という真実の世界から切り離され分離します。自分の方が正しいというのは妄想です。それは誤解です。
もちろんあなたの主張したい事は正しくて、決して間違ってはいません。そんなことは聞かなくてもわかります。あなたがあなたの宇宙の創造主なのですから。あなたは絶対に間違ってはいません。
それと同じだけ相手も正しいわけです。ですからどちらかの方が正しいという比較には意味がありません。どうぞ「自分の方が正しい」という心から離れて下さい。
一切の咎めの心の無くなったあなたは、真実のマクロコスモスの中に住み始めます。そんなあなたに、もうどんな心配も必要ありません。どうぞ安心して全てを宇宙にゆだね、「今」というこの全宇宙とともににその力を享受して下さい。
「今、ここ、この瞬間」からあなたの意識が動かなくなったとき、すでにあなたは宇宙そのものである事を知るでしょう。
(引用元)
聴きものがたり
hayamimi iruka1
津留晃一メッセージ集
http://www1.ttcn.ne.jp/~turu/sub3.htm