卒業
8月15日の終戦記念日に。
長く育んでもらった組織を卒業しました。
2008年の8月1日に入職したので丸15年。
常に必死すぎて、あっという間だったけど。
5歳だった長男は先週20歳になったし。
それなりの時間。
ちょうど、組織って一体なんだろう?と興味を持ち始めた頃。32歳だったかな?
フローレンスに転職しました。
働き方革命事業部の立ち上がりの時。
当時夫だった人の働き方が人とは思えない働き方で。
その働き方が家族の在り方に大きく影響していて。
当時は、本人になんとかしたい意志があれば、働き方なんて変えられるでしょ?!と思いキリキリしていたのだけど。
本人だってそんな働き方は望んでいなかった(と信じたい)よね。
あの頃、「組織」を前に個人の意志はあまり意味を持たなかったし、そこには一度【戦線】から離脱したら戻る場所はない、という当時の日本の働き方の「選択肢のなさ」が多分に影を落としていたわけで。
組織の在り方を変えないと、日本やばいじゃん!と思っていた矢先に「中小企業から日本の働き方を変えよう!」「働き方革命の狼煙をあげよう!」という気概あるフローレンスからのメッセージ(メールマガジン)を受信して。あまりのタイミングの良さに驚きつつ。
ますますタイミングよく投げかけられた5歳の息子の「ママはなんで働いてるの?働くの楽しい?」という単純だけど深い深い問いに撃たれつつ。
直感的に。
後先あまり考えずに、勢いでA4用紙で4〜5枚のエントリーシートを書き上げて(「あなたとっての自己実現とは何か」とか「フローレンスで何をしたいのか」的なことを書くシートで骨があり、子ども寝かしつけたあと、徹夜で書き上げた)即送信。
一次面接の連絡が来た時には、嬉しくて小躍りしたのが懐かしい。。
最終面接はマンションの一室(執務室)で、駒さんが遅れて入ってきて大汗かきながらエアコンの温度下げて。「ボク代表だけど営業まわりしてて、それで遅れた」と言い訳するのを「なるほど、NPOってこんな感じなのね」と思いながら受け止めて。笑
面接の終わりに、何か質問はあるかと問われて「駒崎さんは、組織を大きくする意図はあるのですか?」と尋ねて「ない」という答えを聞いたことはよく覚えている。(あと自分の著書を読んだか聞かれて「もちろんです」と答えて、帰り道Amazonポチって慌てて読んだ事もよく覚えてる。)
フローレンスでたくさん、かけがえのない出会いがあったのだけど。なかでも、まりこさんとの出会いは大きい。「何をするかより、誰とするか」が大事だな、と心から思えたのは、彼女と出会ったから。
彼女は優秀な航海士で、嵐の中でも笑いながら「多分あっちだよ。いや絶対あっちだ!」と北極星を指し示すような人。
フローレンスの行く航路はいつも新しく、初めてみる海ばかりだけれど「そんなのできるわけないじゃん」と言われた時に諦めるのではなく、「ニヤリ」と笑って前に進んでいくような人。
人に対しても「役割が人を育てるから」とニヤリと笑って、無理じゃない?という周りの心配を他所に、ストレッチな役割を与えて、与えたらその可能性を信じ抜いて、サポートして、花開かせてしまうような人。(そういう意味では、大地のような人でもあり、太陽のような人でもある)
適当なのか真剣なのかわからない時がありつつも、乗組員の信頼は厚く。
なので「何をするかより、まりこさんと!」な人は数多いるわけなのだけど。
そんな彼女と、文字通り膝を突き合わせて組織の未来を思い描きつつ「目の前のカオス」と取っ組みあったり、ワークライフバランスを考える勉強会を企画してまわしたり、マイビジョン百物語をやって顰蹙買ったり、マネージャー&ディレクター合宿を日本庭園でやってみたり、いろんな事考えて処遇改善したら厳しい声が槍のように飛んできて凹んだり、行動指針リニューアルして浸透させるプロジェクトやったり…と、書ききれない経験を共にさせてもらったことは、とても贅沢な事だし、わたしの人生の宝。
「組織」について考え続けた15年だった。
1+1が5にも10にもなる組織。
逆にマイナスになることもある組織。
面白いけど、怖くもある組織。
組織の中には、組織の力を信じて、組織のことをひたすら考える人、役割が、必要。
側で学ばせてもらったことを。
新しい組織でどこまで実践できるかな。
15年前と同じように、直感的にエイヤッ!と、むすびえに来たのは、この組織はもっともっと良くなれるし、良くならないとダメだし、そこにチャレンジしたいな、と感じたから。
もちろん地域がもっと豊かになって、なんでもあたたかく包み込んで、賑やかになって、笑顔あふれる地域になるようにしたい、と言う気持ちがまず前提だけど。
やはり「組織」への思いは強いのだと思う。
みたいな話は、長くなったから、また今度にしよう。