見出し画像

「日本酒文化を伝えるために生まれてきた」 伏見の老舗酒蔵が開拓する新領域 山本本家・山本晃嗣専務取締役

皆さまこんにちは!「八方良菓の京シュトレン」でお世話になっている方を訪ねる「八方良菓の取材紀行」。今回は梅酒製造後に取り出された梅の実と、日本酒づくりの副産物として発生する酒かすをいただいている「山本本家」の山本晃嗣専務取締役を訪ねてきました。

企画・撮影・取材 安居昭博(八方良菓)
執筆・取材    能勢奈那
〜〜〜〜〜〜〜〜

30歳を目前に控えた今、ようやく日本酒の美味しさが分かるようになってきた。これまではついついビールやワインに手を伸ばしてしまっていたが、ある時、懐石料理屋さんでお出しいただいた日本酒を飲んで驚いた。口に含んだ瞬間にふわっとお米の香りが広がり、料理本来の味がより引き立って感じられたからだ。よくよく考えてみれば、日本の食材には日本で造られたお酒が一番合うというのは当たり前のことなのかもしれない。これまでなんとなく避けてしまっていたことを少し悔やんだ。

京都・伏見で300年以上、日本酒を造り続けている山本本家。老舗ながら日本酒の魅力と文化を広く世の中に届けようと、様々な新しい実践を行ってきた。八方良菓には3年前から酒粕と梅酒の梅の実をご提供いただいている。今回はそんな山本本家で専務取締役を務める山本晃嗣さんに、日本酒造りの魅力や、これまでの取り組み、そしてこれからのビジョンについて伺った。

京都・伏見で日本酒造りが栄えた理由

今年で創業347年目を迎える山本本家。1868年の鳥羽・伏見の戦いで蔵を含めた全ての建物が一度全焼しながらも、もう一度再建し、同じ場所で日本酒造りを続けてきたという。

山本さん:伏見の同じ場所にこだわっている一番の理由は日本酒の味に直結する水です。伏見の湧き水は中硬水で適度なミネラル分があり、鉄分が少なく非常にまろやかで、日本酒にとても適しているんです。

さらに、かつて港町だった伏見において、交通の弁が整っていたことも日本酒造りの発展には欠かせない要素だったそう。

山本さん:昔は船を使って日本酒を出荷していましたが、東海道の電車が通ったことでさらに出荷しやすくなり、生産量がぐんと増えました。日本酒に適した水と出荷しやすい立地が合わさったことが、この地で日本酒作りが発展した要因だと思います。

現在お父様の代で11代目。生まれた時から日本酒と隣り合わせだった山本さん自身は、日本酒に対してどのような想いを持っていたのだろうか。

山本晃嗣専務取締役(右)  安居昭博(左)

人生全てに迷いがない
日本酒の文化を伝えるために生まれてきた

幼少期から会社にお客様が来られたときには、お祖父様やお父様と連れられお客様にお酌をしていた記憶があるという山本さん。物心ついた頃には、自分も後継として日本酒造りをしていくんだと思っていたそうだ。

山本さん:小学校の卒業文集ではすでに「家業を継いでお酒造りをする」と書いていました。よく色んな方から「もっと他のことをされたかったのでは?」という質問を受けますが、そんな思いは一ミリもなかったです。山本家の文化を伝え続けバトンを繋げるために生まれてきたんだと迷いなく今でも変わりません。
山本さんのこの熱い想いの背景には、「日本酒の魅力をもっと沢山の人に知ってほしい」と願い、新しいアクションを起こし続けていたお祖父様の影響が大きかったのかもしれない。
山本本家の造る日本酒は、主役になるのではなくお料理を引き立たせるもの。それを表現するために創業300年のタイミングで酒蔵にお祖父様が造ったのが、焼き鳥屋「鳥せい」だった。

山本さん:今でこそ酒造が酒蔵や会社の隣に飲食店を造ることは珍しくなくなりましたけど、47年前はおそらく誰もやっていなかったと思います。日本酒の魅力をどのようにすればより多くの人に伝えられるか?そのことをいつも考えていた祖父の背中は、今でも私の原点になっています。

日本酒もワインのような存在になってほしい

日本酒の魅力を広く世の中に発信していく方法を探求するため、大学卒業後はワインの会社に就職した山本さん。世界中でスタンダードな醸造酒であるワインが、どのように消費され、どんな存在であるのかを深く知ることで、日本酒の流布にも役立てられるのではないかと思ったという。

山本さん:ワインと日本酒の大きな違いは、ボトルでシェアする文化があるかないかということだと思います。ワインシーンではボトルで注文してみんなでシェアするのが当たり前ですよね。でも日本酒は昔から徳利でシェアをしていましたが通い徳利(*1) の時代から瓶の時代に変わり1800mlという大きな瓶が主流だった流れもあり、瓶の蓋を開けたボトルをフレッシュな味わいのまま全て皆でシェアしていくというところまで至っておりません。日本酒の瓶を開けてすぐの美味しさを一番感じてもらうには720mlや300mlという飲みやすい大きさで皆様で楽しんで頂きたいと私は思っています。

山本さん曰く、日本酒も海外のレストランではボトルで売られていることが多いそう。
ワインと同じように、一つのテーブルを囲んでみんなで同じボトルの日本酒を分け合い、産地の話ができるような風景をつくることが次のステップだと考えているそうだ。

山本さん:ワインを飲む時ってさりげなく瓶やラベルを見て産地の話をしていると思うんですよ。日本酒も「京都だからまろやかなんだね」とか、そのお酒が生まれた背景の会話が当たり前でできるようになったら嬉しいですよね。少しでも日本人の誇りを持って日本酒のことを伝えてくれる人が増えてほしいです。

日本酒の消費シーンを変化させるにはまず、より多くの人に日本酒を口にしてもらうことが必要だと考えた山本さんは、新たな取り組みを始めている。

飲みものでなくてもいい
まずは日本酒の味をたくさんの人に知ってもらいたい

日本酒造りは、実は本来捨てるものがなにもない超サーキュラーな業界。近年、発酵食品ブームの追い風も受け、製造過程で出る酒粕の需要は高まっているという。

山本さん:父が小さい頃は酒粕を焼いて、その上に砂糖をまぶしておやつとして食べていた様ですが、たが、酒粕の様々な用途を皆さまが作り出してくれているのはとても嬉しいことです。もちろん日本酒をそのまま飲んでほしいという想いもありますが、お酒を飲めない人にも無理の無い形で、まずは文化を感じてもらいたいんです。酒粕を食べるということは、間接的に日本酒の味を感じてもらえますよね。

「日本酒」という飲みものにこだわるのではなく、酒粕を使ったパンや、日本酒を少し含ませたアイスバー、酒饅頭など、日常の中で気軽に日本酒を感じられる取り組みを実践しているという。ちなみにお酒造りで削られたお米の粉は、お煎餅の原料や、最近では飼料として非常に人気でロスは出ていないそう。近年では初回に取材した「聖護院八ッ橋総本店」と共同し、酒かすを活用した酒まんじゅう「待酔 ー まつよひ ー」を開発している。

山本さん:まずは日本酒をいろんな形で味わってもらいたい。そこから文化を感じてもらって、いかに次世代につなげていくかですよね。安居さんからお声がけいただいたときも、そういった意味で迷いはなかったですし、何もかも循環できる業界として共感できる部分が多かったのですぐにお引き受けしました。今後も新しい実践を積み重ねながら日本酒の継承に務めたいと思っています。

山本晃嗣専務取締役(左) 安居昭博(右)

後書

灯台下暗しとはよく言ったもの。
遠くの国のものが簡単に手に入る時代、私たちは当たり前すぎて身近に存在するものの価値に気づきにくくなっているのではないだろうか。自分たちの地域で昔から利用されてきた湧水と、育てられてきた食材。古来受け継がれてきた技術の伝承と新しい試み。作り手の想い。これらのどれが欠けても、いま私たちが手にできる地元のお酒を手に入れることはできなくなってしまう。もしかするとそれ以上に贅沢なことはないのかもしれない。山本さんの取材後、私は思わず自分の住む街にある酒蔵を検索していた。

(*1) 「通徳利(かよいとっくり)」:江戸時代に酒店や醤油店から貸し出され繰り返し使用されていた容器。お客は通徳利を持って酒店や醤油店に行き必要な量を購入していたとされる。 

山本本家 https://yamamotohonke.jp

企画・撮影・取材 安居昭博(八方良菓)
執筆・取材    能勢奈那


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?