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デンマークのデジタル民主主義
2024年10月28日、東京都にお誘いを受け、「Smat City ✖️ Tokyo」のイベントで、デジタル民主主義をテーマにしたパネルディスカッションに登壇した。海外に住んでいてもお呼ばれされるようになったポストコロナ時代は、嬉しい。
一人サテライト状態の場合の、相変わらずの疎外感はどうしようもないが、そのうちテレプレゼンスロボットでどうにかしようと思っている。
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この登壇の機会に、デンマークのデジタル民主主義についてちょっと考えたので、まとめておきたいと思う。
デンマークで学んだ私の民主主義
デンマークに住み、早20年近く。住んでいることで経験した様々な疑問から、民主主義について関心を持ち始めて、生活者視点での「民主主義」「良い社会とは」などを折に触れて考えるようになった。そんな私のモヤモヤや思索は今までにも何度か文字にしてきた。
在デンマーク日本大使館からの依頼で執筆した「デンマークと私」は、私の民主主義に対するジレンマを描き、「デンマークに住みたい人へ」(2017)では民主主義は義務と権利の両輪であるという視点を、「皆で作る社会」(2021)では社会を構成する一員としてのコミットの必要性を考察した。
日本にいたら考えてなかったであろうことを、デンマーク環境に置かれたがゆえに考えた私が、偉そうなことをいうべきではない。それでも、自分の発見として記録しておく意味はあるかもしれない。民主主義について理解することは、皆が幸せに暮らす社会を考えるための基盤になるからだ。
「民主主義のために、デジタルで何ができるのか」というテーマから、私が考えたことをまとめておく。多くは、デジタルというより民主主義に対する考察であり、民主主義をどうテクノロジーが支援できるかという点から考察している。
民主主義は脆弱(Vulnerable)である
民主主義には、国や社会を構成する人たち皆がコミットして社会を作り上げていくという前提がある。ただ、よく考えてみると民主主義というのは、とても特異な形態なのだ。努力の末成り立っている形態であって、自然発生する形態ではあり得ない。
だって、誰だって得をしたい、誰だっていい物を食べたい、自分は休んでも誰かに仕事をしてほしい・・・、そんなことを考える人間が、平等な社会を作るのはとても困難だ。全てがうまくいっている時は、他人のことを慮る気持ちももしかしたら生まれるかもしれない。苦労している時には、皆が平等に扱われるべきだし、自分も少し偉くなったら絶対そうする!と神に誓うかもしれない。ただ、残念ながら、人は忘れやすく、流されやすく、既得権益は生まれやすく崩しにくい、そして、弱者は搾取されやすいものだ。
だから、人は民主主義を唱え、法律を作り、仕組みを社会に浸透させようと努力してきた。人や社会が困難に陥った時に、その時の感情に流されないように、仕組みを悪用されないように、さまざまな工夫を凝らしてきた。
民主主義を市民の手に
市民参加の議論において、「市民が中心」と謳うものの、組織(自治体や企業)が「いかに市民を巻き込むか」「いかに民意を吸い上げるか」という視点が前面にだされることが多い。だが、それは一つの方向性に過ぎない。これを為政者の意思による市民参加と仮に呼ぶとすると、ボトムアップによる当事者の主体的な市民参加の動きも存在することを忘れてはいけない。
デンマークのリビングラボや参加型デザインは、どちらかというとボトムアップ的な主体的な市民参加に比重が大きく寄せられてきている。これは、この視点が重要だとわかっているけれども、達成するのが難しいからだと思う。達成することが難しいから、いろんな人があーだこーだと議論して、どうしたら達成できるのかを模索しているところだ。為政者の意思による市民参加は結局のところ、「お偉いさんが市民を巻き込むのがいいからと考え推進されたコロニアルなアプローチだ」と捉え、代わりに「当事者が主体的に動きやすい場を整える」ことをリビングラボや参加型デザインは模索している。欧州だって全てがうまくいっているわけではないのだ。
これは、参加型デザインで見られる「Design for, Design with, and design by」の変遷である。もう少し紐解いてみると、社会づくりは、政治家が市民のため(design-for)という態度が主流だったかもしれないが、市民と共に(design-with)、そして、市民によって(design-by)行われるもの、という見方である。市民による社会づくりをするために、政治家や自治体がとるべき役割はある。それが、当事者である市民が主体的に行動を起こすための枠組みを提供することだ。
デンマークは、市民が主体的に社会に貢献するためのツールとして、Forening*という仕組みがある。Foreinigを組織することで、何かやりたいと思う意思のある人が、簡単に活用できる仕組みがたくさん用意されている。法人格を手に入れられるので銀行口座が開ける、多種多様な民間・公共資金を比較的簡単に手に入れることができる、などだ。このような仕組みは、何かやりたいと思う意思のある人が、負担を感じずにちょっと試してみることを可能にする。うまくいかなかったらやめても良いし、やり方を変えても良い。誰もが、社会を良くしていくための初めの一歩を気軽に踏むことができる仕組みだ。
*Associationと訳される。五人市民が集まり組織を構成することで、法人格を持つことができる。銀行口座も開けるし、公共施設を無料・低価格で借りられたりする。サッカークラブ、編み物クラブや宗教法人、政治グループなどありとあらゆる形態がある。
民主主義とは、一人ひとりの市民が地域の課題を自分ごととして考えることだ。民主主義の本質は、当事者意識を持ち、市民が自ら問題解決にあたること、そして自分と社会を変えていくことだ。
市民参加という言葉には、「市民に参加してもらう」というニュアンスが隠れているように思う。つまり、為政者が市民からヒアリングをするであったり、誰かの力で市民を参画させるという意味合いが強くなりがちだ。だが、為政者の視点だけでなく、市民視点で考えるとどうなるか。市民が主体的に考え・動ける仕組み、市民主導の社会変容や政治参加が可能になる仕組みを、社会に設計していくことも重要だ。
デジタルができること
テクノロジーは市民参加の大きな起爆剤になる。成熟したテクノロジーは、コミュニケーションのチャネルを増やし、テクノロジーによる市民参加の可能性は指数関数的に伸びる。時間や空間を超えたり、数的制約をなくしたり言い出すとキリがないが、例えば、制約を抱えている人の参加などに見られるダイバーシティ・プルーラリティへの対応、多くの人に一斉にリーチするなど、今まで不可能や困難だったことを可能にする。
デンマークでは、2024年の段階でDicidimのような仕組みが根付いているわけではないけれども、様々な分野でデジタルが活用されていて、それらが民主主義を下支えしている。データ活用をした政策提言、デジタルポストの活用(行政から市民へのダイレクトチャネルのこと。全国民に一斉メッセージを送る仕組みにもなるし、抽出した特徴Aの市民にもれなくメッセージを送ることもできる)、Digital Twinを利用した都市計画に対する市民からの意見の集約などは、代表的なものだろう。
デジタルドリブンで市民参加を考える?
とはいえ、デジタル主導で市民参加を考えるというのは本末転倒だ。第一に考えるべきは、いかに多くの人の政治や社会参加を促すか、いかに参加の敷居を低くするかという基盤の部分のはずだ。それを忘れなければ、デジタルが可能にすることは多々ある。
今までの物理的なコミュニケーション手段は維持しつつ、新しくデジタルのチャネルを使うことで、今までリーチできなかった人たちやできなかったアクションを可能にするかもしれない。
特にメガシティ東京は、中小規模の都市とは異なる市民参加のアプローチが必要になっていくだろう。小さな地方都市が使えるデジタル民主主義のツールもあるだろうし、東京都の規模だから実を結ぶツールの使い方もあると思う。東京都が抱える人口規模とデジタルと民主主義の親和性は、実は、とても高いのではないかと思うのだ。
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