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Gleeキャストの「Season of Love」から考える時間の大切さについて

こんばんは!しょうへいです。

さて、本日はいつもとは変わったタイトルでお送りしていますが、もちろん、理由はありますので、少しのお時間、お付き合いいただければ幸いです。

今日はGleeキャストの歌う「Season of Love」から哲学していきます。

それではいきましょう!

1、きっかけについて

このnoteを書いたきっかけについては、なんと自分のツイートでした笑

なんで自分のツイートに影響されてんねん!という突込みはこの際聞かなかったことにしたいのですが、まぁ、事実このツイートをきっかけに書いております。

ちなみにフォロー大歓迎ですので、お待ちしています←

閑話休題。

このツイートをしてから、いただいたリプがこちらでした。

最近仲良くさせていただいているあきやまさん( @maitea00 )のツイートですね。

僕、基本的に洋楽はノリで聞くことが多いので、そういえばこの曲ってどんな意味の歌詞なんだろうって改めて知りたくなったんですよね。

皆さんはGlee見たことありますか?

これは洋ドラなんですが、作品について語るとそれだけでこのnoteが終わってしまうので割愛します。今度、映画とかについてもnoteで紹介したいです。

普段映画についてはStand.fmでお話ししておりますので、是非そちらに興味ある方は聞いてみていただけると嬉しいです。

まぁ何はともあれ、とてもとても、この曲が大好きなんですよね。なおかつ、歌詞を調べたらびっくり。

なんて素敵な歌詞でしょうか。。。普通に初見で歌詞を見たときは泣いてしまいました。

今回は2つの疑問提起を通して、

詳しく掘り下げていきたいと思います。

2、問1:大切な時間ってなんでしょうか?

皆さんにとって大切な時間って何でしょうか?

仕事をしている時間でしょうか?

趣味の時間でしょうか?

おいしいものを食べている時間でしょうか?

それとも、愛おしい人と過ごす何気ない時間でしょうか?

正直、大切な時間って人それぞれです。どのような形式であってもそれは個人という特性なので、認められてしかるべきだし、他人に侵害されてはいけない領域です。

Season of Loveは季節を「愛の季節」として例えています。

525,600分(=1年を分に換算するとこの分数になります)という時間をあなたは何で計るのか。

それを様々な角度で比喩しています。

僕はこの問いかけになんと答えるべきなんだろうと考えたときに、僕はこう答えます。

「生きている喜びを感じた時間」

僕にとって生とは「死ぬまでの時間」です。あくまでも目的を死と置いたときにそこに行きつくまでの時間こそ、僕にとっての生であり、生とは葛藤し、挑戦し、喜び、悲しみ、慈しみ、愛おしい、尊いと感じることだと思います。

それらの感情や衝動を感じたとき、生を感じる。

生きている喜びとはこれらすべてを感じている時間の総数です。特に、その中でも僕にとって最も大切なのは「愛おしい」と感じる時間です。

愛している人に「愛している」と伝えられている時間です。

当たり前のことを言いますが、明日って必ず来るわけではないんです。今目の前にいる恋人、両親、友達、同僚、これらの人は必ず明日もいるって思いますか?

そう思ってるんだとしたら、たぶん、もっと毎日の尊さを考え直した方がいいと思います。

結婚してるから明日も会えますか? 同棲してたら明日は必ず来るのでしょうか? 告白することがずっといることの契約となりえますか?

残念ながらそうでないことも世の中には往々にしてあります。だって、ちょっと買い物してるときに事故に遭わないことが言い切れるでしょうか?

寝ている間に隕石が落ちてこないといいきれますか?

大げさだっていうでしょう。けど、実際にあるんです。その「バイバイ」が最後になることって。自分たちではどうしようもない外的要因も相まって、そうなることってあるんですよ。

だったら、毎日感じる愛が、その瞬間一番の愛じゃないですか。

それならその時に感じた愛を、その人に言わない理由って何かあるんでしょうか?

好きを言いすぎると軽くなってしまう」気がしますか?

それ、いきなりどうしても金輪際、会えなくなったとしても同じこと言えますか?

僕はとてもじゃないけどそんなことは言えません。その日伝えられる愛は伝えきったけど、その時が訪れてしまったときに、後悔は残ったからです。

後悔しないように。いつ会えなくなったとしても、少しでも後悔しないように、今伝えられる愛情を目の前の愛おしい人に捧げていきたいと僕は思います。

僕にとって、大切な人といられる時間がそれすべからず大切な時間だと思います。

言えば言うほど深まるものが愛だと僕は思います。

3、問2:あなたは余命3日です。何をしますか?

例えばですが、「あなたは余命3日です」と言われた時に、何をしますか?

たぶん、今まで過ごしたどんな時間も極限まで絞ってやらなければいけないことをリストアップするのではないでしょうか。

僕も含めて思いがちですが、人は「明日は変わらずやってくる」という幻想を抱きがちです。

世界では毎日人が死んでいます。

大勢の人が理不尽にその命を落としています。

それは世界のニュースを見れば分かることだし、ニュースだって放送されているはずです。ただ、こう思ってしまうんです。

「大変だね、怖いね、でも自分には関係ない」

そうですよね。まさか自分が死ぬなんて。まさか自分が理不尽に蹂躙されるなんて思ってもみないと思います。

かくいう僕もそう思ってしまいます。だって共感なんてできないですね。

他所は他所、うちはうちって思いますよね。

それは正常な判断だと思います。ただし、間違っているとも思います。

明確に意識が出来なかったとしても、死を意識することで、時間の重みについての意識はどんどん変わっていきますし、特に身近な大切な人やパートナーへの接し方は劇的に変わるといいきれます。

明日からでもいいです。

もし余命3日と宣告されたなら」と仮定して今しなければいけないこと、感謝を伝えたいことや人を思い浮かべてノートに書いてみてください。

明日は必ずやってくる、という思考から、明日は必ずしもやってこないという思考にチェンジすることでより向きある質とささやかな幸せに気づく機会が増えると思います。

ちなみにこの「死ぬと仮定してノートに書く」という効果は幸福度を上げる効果もあるみたいなので、是非習慣化してみてください。

ブレイクスルー佐々木さんの動画が非常に勉強になりました!

4、キャリア論とか人生観に当てはめてみる

時間に対する考えをより具体的にするためのアクションプランですが、

是非やってみていただきたいのは「キャリア論や人生観に当てはめてみる」です。

残りの時間を考えたときに、ぶっちゃけ直結してくる内容って今している仕事や、明日や明後日の過ごし方だと思うんですよね。

例えば下記に一つでも当てはまる方がいたら特にやっていただきたいです。

✓毎日なんとなく仕事にいってる

✓働く理由は飯を食うためだ

✓やりたいことと言われても特にない

✓今の職場に満足はしてないが次のプランがあるわけでもない

いかがですか? 当てはまった人いるのではないでしょうか。

時間の大切さを学んだマインドでキャリアや人生について向き合うことで、今やっていること、やっている仕事って本当に自分の未来の為になっているんだっけ?

そんな気づきになってほしいなと思います。現代はより働くことについて柔軟になってきました。

終身雇用は終わりましたし、ぶっちゃけ1つの会社に所属した時に、正社員ですらその実を保障はしてくれません。

近年では大手のリストラや早期退職なども止まりませんよね。

会社は原則、有事の際に個人を守り切れる時代ではなくなってしました。だからこそ、自分で自分の世界を拡張していく必要があるし、副業や趣味を深めることがキャリアプランを充実させていくものに繋がっていきます。

個人としても生きていく才能を身に着けていくことにも必ず繋がります。

パラレルワークについては少し前までは白い目で見られていましたが、社会的にその地位を高めつつあります。挑戦するなら今かもしれません。

パラレル時代のキャリア論については以前noteを書いたので、是非参考にしてください!


5、さいごに

時間って一方向に進んでいくもので、戻ることは決してない、且つ万人に唯一平等に与えられた概念です。

その時間をどう過ごしていくのか、いかに大切な人との時間を作っていくことが出来るのか。

少しだけ足を止めて考えみてはいかがでしょうか。

そして時間を尊んで、いつくしんで、大切に過ごしていくことで、きっと、必ず人生にとって良い効果があると信じています。

是非、これを読んだ皆さんの時間が少しでも良いものになりますように。


もしnoteが初見の方がいたら、今僕は主にTwitterでマーケティングを中心に映画やカメラのことなんかも呟いているので、フォローしてくれたら嬉しいです。

それではまたお会いしましょう!

ではでは。

いつも見てくれて、スキくれてありがとうございます。少しで皆さんがマーケティングを身近に、生活に、近づけられたらうれしいです。