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かかっている呪いに気づくのは難しい

私は料理が苦手だ。

いつからかはわからない。
気づいたら苦手だった。

元々あんまり食に興味がなく、家で料理の手伝いをすることもほとんどなかった。
大学に通っていたころは(卒業してからも)お金が無いのも相まって、腹が膨れればなんでも良いというような考えで過ごしていた。

”料理コンプレックスの呪いから解放されたい”

このタイトルを見て、読まずにはいられなかった。
呪いって何だろう。そうか、料理を手伝うたびにお母さんに馬鹿にされていたのか。そりゃしんどいよな。自分は料理下手だって思いこむよな。

他人ごとのように読んでいたが、はたと私の”料理が苦手”も何かの呪いなんだろうかと考えた。


『あこちゃんは料理が全然できないんだから』

今の今まで忘れていた。母から繰り返し言われていた言葉。


なんで今まで忘れていたんだろう。そうだ私も母にずっと言われていた。言われ続けて認めてほしくて頑張ったけど、やっぱり認めてもらえなく悲しかった。多分これが呪いだ。呪いになっていたことにすら気づいていなかった。スイスイさんのnoteを読まなかったら一生気づかなかったと思う。

***

思えば料理の手伝いを母から頼まれたことはなかった。私が部活で忙しかったり、ピアノやら声楽やらと受験勉強や舞台に熱中していたこともあったからだと思う。そのかわり料理以外の家事はよく手伝っていた。片付けも掃除機もかけたし洗濯もしたし、皿洗いなんかはいつもやっていた。

『料理以外はなんでもできるのにねぇ』
『弟や妹は料理するのに、あこちゃんは全然やらないねぇ』

弟と妹は私と違って食べるもの料理を作るのも好きだったようで、食べるものがないときは一人で台所に立ち、勝手に作って食べていた。

大学進学で一人暮らしをするときにも料理ができないことを心配された。私自身は米も炊けるし味噌汁も作れるから特に不安はなかった。実際、一人暮らしをしていれば料理が好きでなくともある程度はできるようになったし、レシピ通り作れば美味しくできることもわかった。


帰省した時、母の代わりに料理を作ってもこう言われた。

『あこちゃんは料理できないからねぇ』

何しても頑張っても認めてもらえないんだ。落胆…したと思う。あまり覚えていない。頑張ってもお母さんに褒めてもらえない、それを直視したくないから蓋をして無かったことにしたのかもしれない。自分の中で。

***

母からしたら何の気なしに口から出た言葉だ。思ったことがすぐ口から出るタイプの人だし、そんなに気にしていなかった。
今振り返ってみれば気にしない振りをしていただけかもしれない。だってこんなに頭の片隅にこびりついてるんだもの。お母さんの言葉って重い。親の言葉って重い。

そういえば小さい頃は、おかあさんによろこんでほしい、おかあさんにほめてほしいが原動力だった気がする。

子どものときに親との間に抱えた問題?問題というよりはなんだ、いい言葉が見つからない、ソレが大人になっても姿形を変えてまたやってきている気がする。
人のソレは案外良くわかったりするのに、自分にかかっている呪いに気付くのは難しい。

***

幸い娘も夫も美味しい美味しいといって食べてくれるので、私の料理コンプレックスはじわじわ溶けていっているような気がする。今回呪いに気づいたことでその速度は上がっていくかもしれない。毎日献立考えるのしんどいと思うのは変わらないだろうけど。

でも私は少し怖い。
私も娘に呪いをかけてしまう日が来るんじゃないかと。
それは料理に限らず、私が何気なく発した言葉が娘にとっては特別に意味を持つものになって縛り付けてしまうものになるんじゃないかと。
言葉は大きな力を持っている。誰かを癒すこともできるし元気づけることもできる。逆に傷つけることもできるし殺すこともできる。他人も自分自身をも縛りつけることは容易い。

言葉は大きな力を持っている。
だからこそ私は正しく、正しくでいいのかな?使いたい。
間違ってしまったときは悔い改め謝ろう。
娘が自分に自信を持てるように、自分で決断して、自分の足で歩いていけるように、私がいなくなっても一人で歩いていけるように、愛を注ぎたいし言葉をかけて生きたい。

自分にかかっている呪いに気付くのは難しい。それでも呪いを解けるのは自分しかいないのだ。知らんけど。

最後までお読みいただきありがとうございます。娘のおやつ代にさせていただきます…!