見出し画像

あなたの知らない千と千尋 第4回「神隠しの謎(その1)」


この映画の題名にもなっている「神隠し」。なぜ千尋一家は神隠しに遭ったのか。今回はその謎を探求してみよう。

【道と土】

千尋の父が運転する車は、引っ越し先の家を目指していた。ところが、杉の老木の手前、舗装道路が途切れているところで、道を間違えたことに気が付く。そこから先は未舗装の土むき出しの道。母は、周りを見渡し、丘の上に引っ越し先の家を見つける。父は、この道をまっすぐ行けば抜けられると言い、母は、いつもそういう判断がうまくいかないことを知っているので反対する。

物語冒頭の何気ない出来事に、大きな意味が隠されている。
人生の道を共に歩む夫婦ですら、一つの道を共に進むのは難しい。無計画に何の根拠もなく「多分うまくいく」と考える父親。その考えと行動には大きな代償を伴うことも多く、犠牲者はいつも家族である。

なぜ父は道を間違えたことに気が付きながら、先に進もうとしたのか。
二十世紀は、お金・学力・肩書がものをいう時代。資本主義が発展し、物質や財に価値が置かれる時代。私たちは、開発・発展という名のもとに、莫大な費用と時間をかけて土の見えない世界を築き上げてきた。街から土が見えなくなった時代である。それは、発展なのか愚かなことなのか。土を忘れた私たちはどこに向かって進むのか。未舗装の道を前に「道を間違えた」という父の言葉の裏には、高度経済成長、バブルに至るまで、進むべき道を間違え、そして、間違ったまま先に進もうとする日本人の愚かさを感じずにはいられない。これはジブリ映画全体のテーマでもある。

【鳥居と石祠】

止まった車の横には杉の老木。太い根元の周りには、沢山の石祠が散在し、老木にもたれかかるようにして朽ちかけた鳥居がある。

神社の入り口でよく見かける鳥居だが、実は起源が良く解っていない。木と木を縄で結んだもの説。天照大神を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥」に因み、神前に鶏の止まり木を置いた説。お釈迦さまのご遺骨を埋葬したストゥーパ(仏塔)の塔門であるトーラナ説など様々あり、語源も「鶏居」「止まり木」「通り入る」「トーラナ」の漢字表記などはっきりしていない。

鳥居の種類もたくさんある。構造の違いにより、神明鳥居と明神鳥居の二種類に大きく分かれ、さらに細分化しているが、どれも結界の役割をするものである。結界とは、神聖な場所である神域と、人間の暮らす場所である俗界を区切るものであり、神聖な領域に不浄のものが入るのを防ぐ役割がある。
その鳥居が老木に寄りかかっている。よく見ると柱の根元が折れている。この鳥居は本来、千尋たちがいる道の方に立っていたはずだ。つまり、この道は神域に続く道であり、禊を行わない者が立ち入ることのできない禁足地であると考えられる。

神域である証拠は、もう一つある。やはり杉の老木の根元に集められている石の祠で、映画の中では「神様の家」と母が千尋に説明している。
普段人が立ち入らない場所に置かれる石祠は、古神道に由来するものが多いとされる。古神道とは、仏教や儒教などの影響を受ける前の古代の神道で、固有の信仰ではなく地域や共同体を中心とした自然崇拝・精霊崇拝などのアニミズム的な信仰形態をいう。特に禁足地や神域の存在と、その境を区切る結界を大切にし、シャーマンによる祈祷などが行われる。

 

【アニミズム】

アニミズムとは自然の万物の中には生命、精霊、霊魂が宿っているという考え方で、宗教の始まりでもある。このアニミズムから発展しシャーマニズム(神や霊魂と直接、交流し予言や病気治しを行うシャーマンを中心とした信仰)が生まれ、そして仏教やキリスト教などの世界宗教へと発展していく。

根元の折れた鳥居や無造作に集められた石祠。これは明らかに人の手によって、この老木の元に集められたと考えられる。おそらく、未舗装の向こうにある森そのものが神域であり、結界である鳥居と、その神域の中にあった石祠である。千尋たちが引っ越す住宅地を造成した時に、扱いに困った工事関係者が、この老木の元に集め置いたに違いない。

科学や経済がどんなに発展しても、日本人の心の中にはアニミズムが生きている。山、川、石、木に精霊が宿り、大切にしないと祟るという気持ちがどこかあることを示している。


【参道と産道】

車は未舗装の道を進み、森の中に入っていく。やがて道が未舗装から石畳へと変わる。なぜ森の奥に石畳が敷かれているか。それは大切な道だからである。

道には三種類ある。一つは行政が政治的必要性から作った道。もう一つは、生活のために多くの人が歩いて出来た道。最後の一つは、神様が通る道。いわゆる参道である。

神社の参拝方法として、鳥居をくぐるときは必ず頭を下げてから通り、参道は真ん中を歩かないという決まりがある。結界に入ることを許してもらうために頭を下げ、神様の通り道である中央は歩かないという作法である。神社の参道がいつもきれいなのは、神様が通るからである。

一般的な神社の場合、鳥居をくぐり、参道を進むと、やがて社殿という神様のいらっしゃるお宮にたどり着く。色々ある鳥居の意味の一つに、鳥居は女性が立っている姿を現しているという俗説がある。二本の脚の間を進むと参道(産道)があり、その向こうにお宮(子宮)があるという。俗説と笑ってはいけない。神社にお参りするのは、参拝する前とは違う自分に生まれ変わることを目的としているからである。禊をして心身を浄め、神のお力で新しい力を得る。つまり生まれ変わることを願うのである。

そして、この映画のもう一つのテーマこそ、まさしく「生まれ変わり」なのである。


【神隠し】

千尋たちは、俗世を背負ったまま神域に土足で踏み込んだ。しかも、千尋一家は神域を取り壊した場所に建てられた家を買っている。神域が破られた原因を作った共犯者である。大地への感謝、自然への畏怖を忘れた者、つまりアニミズムを忘れた者たちを神様が快く迎え入れるわけはない。これが神隠しの一番の原因である。原因つまり縁がなければ神隠しには合わないのである。さあ、神域に突入した千尋たちは一体どうなるか。

続きはまた次回。

to be continued
大乗山 経王寺「ハスノカホリ no.51」より
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?