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【幸せ】は自分の心が決める。ありがとうの魔法。

6歳の誕生日。

今日は絶対にお気に入りのピンクのワンピースを着ていくと心に決めていた。髪の毛は三つ編みを交えたポニーテールをオーダーし、よし、服を着替えるぞとなった時、母が「違う」ワンピースを出してきた。

「それじゃない、ピンクのワンピース!」

「洗濯機壊れて動かないから今日はこれしかだめやわ。」

「ええええええええええええええええ!!!じゃあ行かない!!」
この世の終わりのように叫ぶ私。

「ええやないの。これも可愛いやろ」

「あれがいいの!!もういい!」
そして洗濯機に駆け寄り、
「なんで壊れんの!?あほ洗濯機!!あほ!!」と洗濯機を叩きまくる私。

そこでおじいちゃんがやってくる。

「キウイちゃん、キウイちゃんは洗濯機作れる?」

「作れるわけないやん!」

「じゃあ、作るにはどうしたらいいかな?」

「知らん!!」

「一回考えてみ?作り方わかったら直せるかもよ?」

「・・・そんな固い大きいやつは無理!キウイはやわらかいものしかつくられへん!」(やわらかいもの=布製品 ※当時裁縫が好きで生地から色々作っていて、布製品は全て最初は1枚の生地なんだと気づいた時だった)

「そうやんな、じゃあまずは洗濯機作ってくれた人に感謝せなあかんなあ?誰も作られへんもの作ってくれたんやもんなあ。」

「・・・うん」

「もし作ってくれた人がいなかったら、毎日冷たいお水で洗剤つけて洗わないとあかんねんで」

「ほんまやなあ。」

「スイッチひとつで電気つくことも、蛇口ひねったらお水が出ることだって当たり前じゃないんんやで。誰かが頑張って作ってくれた環境なんやで。だからまずは作ってくれてありがとうやなあ?」

当時幼いながら、祖父のこの言葉に感銘を受けた。

それからことあるごとに、言われてきたこと。

キウイ家の家訓的なもの

今の生活は全て当たり前じゃない、奇跡であること。
努力の集大成が自分の周りを彩ってくれていること。
だから毎日周りの人、もの、今の生活全てに感謝し、そしてその感謝を返せるような生き方をしなさいと言われ続けて育った。

この教えは、私という人格を大きく作ってるなあと思う。


1、恋愛で悩んだことがない。

恋愛でお別れすることがあったら、「お互いの運命の相手は別々の人だったんだね」としか思わない。
人と人が離れるのは寂しいから泣くこともはあっても、この「当たり前に感謝」の心があると、次の日にはまあそんな小さいことどうでもいいやってなるのだ。笑
これをいうと、本当の恋愛をしたことないんだと言われるのだけど、ちゃんと大好きで幸せな恋愛でした。

2、基本的に怒らない。(許せない!キイーー!!がない)

普段私は優しいとか心が広いとよく言われるのだけど、心が広いとか狭いとかではなくって、好きなところ、嫌いなところ全部含めて「その人」であって、それを受け入れる。何か理不尽なことが起こったら、何か事情があったんだろう、なぜそういう思考回路になるのだろうと考える。
逆に「良い」「悪い」を世間一般論や自分の物差しで決めて、そこに至った背景や要因を見ずして結果だけで批判したり崇めいたりするのは好きではない。そこに傷つく人もいるのを見てきたから。

歴史を、世界を知ることで気づく、「平凡な幸せ」

人は、自分や周りに何か大変なこと(病気や怪我、災害とか)があったときだけは改めて何気ない毎日に感謝するけど、時が経つとまた忘れちゃう。
だから些細なことで論争になったり、泣いたり怒ったり負の感情が出てきてしまう。
平和な国の平和な時代に生まれた私たちには仕方ないことなのかもしれない。でも、「知る」ことで「今の幸せ」の気づくことができるし、いつか自分の子供が生まれた時にも受け継いで行きたいな。


今、「私は不幸だ」なんて思っている人に今すぐやってほしいこと

まず、LINEの友達の上から10人に「いつもありがとう」と、助けてもらってることを思い浮かべる。
送らなくても良いから思い浮かべて、ありがとうって言う。
それだけでも自分の心が満たされてHappyになるんだよってことを伝えたい。

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