10月活動報告「部活は美しい」
こんにちはよーへーです。
イタリアに来て4ヶ月が過ぎました。
早すぎる…
記事を完成させるのに少し時間がかかってしまい申し訳ありません。
日本は台風などかなり、大変な10月だったようですが、みなさんは大丈夫でしたか?
ローマはかなり、ここ数週間はずっと雨で急激に冷え込んでいます。
さてそんな秋も深まってきた(もう冬ですね)この頃ですが、この時期の日本の風物詩といえば部活の引退です。
遅い人であれば、年明けくらいまで選手権やら大会が残っている人もいると思いますが、10-11月あたりが活動の最後の選手も多いようでしょう。
僕の年代も今年大学4年生の人が多いので、周りでも引退をしていく様子を聞きます。
どの競技にせよ高校の部活であれば、止める人半分、続ける人半分と言ったイメージでしょう。
しかし、大学の部活の後に残された道は競技で食べていくプロか、引退(or趣味で続ける程度)の2択です。
そして大方が後者を選び、競技者としての幕を閉じ新たな道を切り開くでしょう。
そんな中、2つのとても心に響く、サッカー部で活動する学生の引退のブログを見つけました。
僕自身も日本では部活出身なので何か初心を思い出すそんな記事でしたのでシェアします。
後半ではイタリア人が日本を観光して感じたこと、そして近況について書きますので、部活の話し興味ねー!という方は後半へ飛んでください。笑
■夢が成仏される場所
冒頭で書いたように、2つのとあるサッカー部員の記事を2つご紹介します。
1つ目は東京農業大学の選手のもの、
2つ目が筑波大学蹴球部の選手のものです。
一応リンクは貼っておきますが、2つの記事の一部を要約します。
1-1「自分の居場所を作るために」
“監督はこう言っていた。
「試合に出る出ないとかではなく、1人1人がチームをよくするために考えることが大切。」
言葉は僕の部活動生活を大きく変える言葉だったのかもしれない。
僕は考えた。どうすればチームが良くなるのか…
自分なりに考え、この3年間で農大サッカー部を少しは良いチームにすることができたと思う。
その中でも応援の面で一番チームの力になれているような実感があった。
僕は応援が得意だ。
大きな声を出して歌う。周りを盛り上げる。出場している選手のために声を枯らしてでも叫び続ける。
どれも好きだし得意だ。多分これは才能である。
毎回リーグ戦のたびに
「今日も応援頼むよ!」
「応援お疲れ様。素晴らしい応援だったな!」
とチームメイトやスタッフ、時には保護者の方々からも声をいただいた。
ナニモウレシクナイ。
そう思った。
僕は逃げているだけだった。自分のプレイヤーとしての実力の無さから。
僕は怖いだけだった。部に自分が必要とされなくなることが。
僕は必死だった。自分の居場所をつくるために…
(ブログから引用。一部省略)”
彼とは高校が同じで1番といってもいいくらい仲も良くお互いのことを知っているのでかなり読みながら様々な感情が湧き出てきました。
その中で自分に置換えた時に、
「僕は逃げているだけだった。自分のプレイヤーとしての実力の無さから。」
という言葉はずしっと重くのしかかった。
僕自身、最近は練習より、パソコンと向き合ってカチャカチャと作業をしている時間の方が長い。
ブロガーなどと言いながら、自分のサッカーの実力の無さから目を背けているだけではない?と改めて考えることになりました。
こっちにいるとどうしても頑張っているのは自分だけでは見たいなそんな錯覚になったり、なんでこんなにやっているのにみたいに感じることも正直ないわけではないです。
初心を思い出させてくれました。
(http://tuafc.cs-park.jp/blog/detail/id/15545)
1-2「ストイック風人間」
”高校までの僕をラベリングするとすれば、「勉強もサッカーもめっちゃ頑張ってるやつ」でした。いわゆる意識高い系。
高校までの友達は、きっと僕のことをストイックな奴だと思っていることでしょう。
実際自分でもそう思っていたし、そういう自分でありたいと思っていました。僕が今までストイックだと思っていたことは(トレーニングに早くきたり、映像を見たり、ピッチがでもサッカーのことを考えたり)、この場所では何も特別なことではありませんでした。
ラベルを剥がされてむき出しになった僕は、背も低い、足も遅い、平凡以下のサッカー選手になりました。自分よりサッカーに本気な奴が山ほどいる。
僕はストイックなのではなくて、「ストイック風」だったということに気づきます。
環境が自分を変えてくれる、と飛び込んだこの場所で何も変わっていない自分を見て、出てきた言葉が「俺ってこんなもんなのか」。”
これを書いた選手とは面識はないのですが、これを読みながら今の自分を重ね合わせました。
なんとなくやっている風ばかりではないかと。
2年前、スペインでお金が稼げない現実に打ち当たり、なんとしても稼ぐ、サッカーで報酬を得ると豪語し、サッカーで稼ぐことにフォーカスしていた頃と比べると随分と変わってしまいました。
と言うか、昔の頃の方が怖いもの知らずでもっと飢えていたような気がします。
今はどうか。いつの間にかストイックから「ストイック風」になってしまってはいないか。そんなことを感じました。
もちろん同時に当時から様々な面で変わったこともあり、全く同じように頑張るというのも違くて、また少し目標も変わっていて。
そんなことを頭で考えていたら、なんだか迷宮してしまう日々です。
正解のない問題に取り組むのとても骨のいる作業です。(最後に続く)
(https://www.tsukubashukyu.com/2019/10/15/blog-52/)
■「目を見て話さない」はレイシスト
先日、イタリア人の友達と遊んだのですが、その子は数週間前に日本に家族で旅行をしたというので色々と話しを聞きました。
その中で、「日本で全員ではないけどレイシストはいた」という話しがあったのでシェアします。
その1つに「目を見て話してくれない」ということでした。
彼女のルックスはTheヨーロッパという方なのですが、目を見て話しをしてくれない、あるいは何か助けて欲しいけど無視されるなんてこともあったようです。
外国人と接する時に緊張する、あるいは話したがらないという日本人の外国人に対する感情は分からなくはないのですが、そのあたりは人種や国籍に関係なくもう少し慣れていくべきである、あるいはしっかりとコミニュケーションをとろうとぜひしてほしいです。
外見は違えど、同じ人間なので。
そんなに大きくは違わないですし、(大袈裟ですが)宇宙人ではないです。笑
そのいい例が、パスモが壊れてしまい彼女のお母さんだけ外に出られない時に駅員に助けを求めたところ無視されたと言います。
というか聞いてないフリをされたとか。
日本人の得意な見てみぬふりというか、あんまりよくないですね…
電車での駅員の話しについては少し残念でした。(全員がそうではないですが)
交通手段の話しで言うと東京のメトロや電車の数は異常でよく券売機の前でチケット購入に苦戦している観光客の人を僕もよく見かけたことがあります。
そう言う時は簡単にどこにいくの?と一言かけ、切符購入を手伝うなどできると理想です(僕も東京駅周辺などにいることが多く時々手伝ったことがありますが、ありがとうと言われて悪い気はしませんね。たまたま行き先が一緒で近くまで一緒に帰ったこともあります笑)
日本人のイメージが世界的にクリーンなのはいうまでもありませんがやはり、「日本=異世界」みたいなイメージはこうしたところからも生まれているのかもしれないですね。
来年はオリンピックでさらに外国人も増えますし、せめて「聞く努力」はしてもらいたいものです。
ローマが不便すぎる?
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ヨーロッパでの活動資金にします。あとものすごく喜びます。笑