[手紙] アメリカ・ツアーから(2) 1928.2.10〜1928.4.14
[手紙] アメリカ・ツアーから(1) 1927.12.31〜1928.2.7
1928年2月10日 サザン・パシフィック鉄道にて
エレーヌ・ジュルダン=モランジュ*へ
友よ
シュミッツ夫人に感謝、君の手紙をロスアンジェルスで受け取ったよ。気温が35℃から40℃もあって、ヤシの木がいっぱいで、道にはトロピカルな植物があふれてる。わたしの手紙(1通、2通かもっと? もう忘れた)をまだ手にしてないのかな。わたしの住所を知らないとはどうしたことか。エドゥアールは君に渡すと約束したんだけど。
また列車で夜を過ごしてる(2晩だ。シカゴからサンフランシスコへは3日かかる)。それからシアトルに行って、さらにポートランドへ行き、バンクーバー、ミネアポリス、そしてニューヨークに3度目の帰還になる。あそこは寒いんじゃないかと心配だよ。
壮大な街から街、素晴らしい地域を見てまわりと、でも疲れたよ。ロスアンジェルスでは人を避けていた。さらには餓死しそうだった。
手紙をまた書いて。
愛を込めて、モーリス・ラヴェル
弟がまだ生きてることを願ってるよ。ここまで電報をたった一通受け取っただけなんだ。
*エレーヌ・ジュルダン=モランジュ:フランスのバイオリン奏者(1892〜1961年)。ラヴェルと長く親交をむすび、ラヴェルの最晩年までそれが続いた数少ない近しい友だち。ラヴェルの作品の初演や献呈を受けた作品もある。
1928年2月21日 ユニオン・パシフィック鉄道にて(デンバーからミネアポリスへ)
エドゥアールへ
デンバーを昨夜発った。よく眠れたよ、9時間だ。まもなくオマハで(3時)、そこで列車を乗り換える。今夜10時ごろに発つ予定。その前に有名なオマハのジャズを聴く。高度1600メートルにある街、デンバーで3日間過ごした(金銀の鉱山がある)。空気はとても澄んでいる。いつも太陽がさんさんと輝いている。これから曇ってくるようだが。来週ニューヨークで寒さに出会うのが恐いよ。
愛を込めて。
大好きな弟へ、モーリス
1928年3月8日 ビルトモア(ニューヨーク)
ナディア・ブーランジェ*へ
友よ、こちらにはとびっきり輝かしくて素晴らしい、そしておそらく大変な才能の音楽家がいますよ。その名はジョージ・ガーシュイン*。
世界的な成功ではもう満足いかず、彼はもっと高いところへと向かっている。ガーシュインはその目標を達成するのに、技術が足りないと知っているんだ。ただ、技術を覚えることで、その才能が損なわれる可能性もある。
わたしにはその勇気がないけれど、あなたはどうです? この畏怖の念をともなう責任を負うつもりは?
5月の初めには家に帰れると思う。この件について、あなたと会って話をしたい。
いまは心からの敬意を送ります。
モーリス・ラヴェル
*ナディア・ブーランジェ:フランスの音楽家、教育者(1887〜1979年)。20世紀の多くの著名作曲家、音楽家に対位法、和声法、楽曲分析などを教え、大きな影響を与えた人として知られる。
*ジョージ・ガーシュイン:アメリカの作曲家(1898〜1937年)。有名なエピソードに、ラヴェルに教えを請うたが、「あなたはすでに一流のガーシュインなのだから、二流のラヴェルになる必要はない」と言って断られたというものがある。またラヴェルから紹介を受けたブーランジェも「生まれながらの音楽的才能があり、その邪魔をしたくない」と断った模様。
1928年4月4日 クレセント(旅客列車)ニューヨーク、ニューオリンズ
フェルナンド・ドレフュス夫人へ
親愛なるマリアンヌへ
あなたの手紙はニューヨークで受け取りました。そこで再度、3日間過ごしました。月曜日はボストンで、ベッドでゆっくり眠れました。そこからニューヨークに戻るのに、5時間の旅でした。いまはちょっとした休憩。ニューオリンズには明日の朝に着いて、旧フランス植民地をちらっと見るだけですが、「ポンパノンパピヨット」を味わい、フランスワインを飲みます(そうです、、、あなたが禁酒法を知ってるかどうか)。夜にはそこを発って、ヒューストンに向かいます。二つコンサートがあって、メキシコ湾までドライブ。それで3夜、列車の旅。そこからグランド・キャニオンへ。2日ほど休み。コンサートはなし(ヒューストンからグランド・キャニオンへは2晩)。それからアリゾナを発って、まっすぐバッファロー、そしてニューヨークへ(ここでは4夜)。ニューヨーク、そしてモントリオール、それから「パリ号」に乗船するためにニューヨークに戻ります。パリ号は21日の真夜中発(わたしは10:30に乗船)。
わたしは酷く疲れたりはしないはず。この狂気のようなツアーの間ほど、気分が良かったことはないんでね。その理由をついに見つけましたよ。それはこんな理にかなった生活をしたことがなかったから。
あなたはからだの具合について、書いてきませんでしたね。わざわざでなくていいです。あなたの手紙は、わたしがここを発ったあとに届くでしょう。お会いして確かめることにしましょう。
気候はニューヨークでもボストンでもとても良かったんですが、今朝、目を覚ましたら春の最中にいましたよ(北の地域では花々はもっと後に咲くんですが)。真夏の陽気です。コンパートメントでわたしはシャツ1枚で、通気孔はすべてオープン、天井では扇風機がまわってます。列車の後部デッキはまったく涼しくない。テキサスではどうなるのやら。間もなく夜の11時、ラウンジカーは人がいなくなり始めました。わたしも列車の反対の端にあるコンパートメントに戻ります。
すぐにお会いしましょう、ではまた、モーリス・ラヴェル
Photo by E Palen(CC by 2.0):Grand Canyon
1928年4月14日 カリフォルニア特急(サンタフェ)
グランド・キャニオンからバッファローへ
シパ・ゴドブスキーへ
10日間の遠出で、そのうち6夜は列車の中という、なかなかのものです。絵葉書の文にあるように(絵筆やペンでは書き表せないとある)、わたしはあえてグランド・キャニオンについて書きませんよ! それを読んでください。あとたった7日間で、ここを離れます(モントリオールからの列車が、1時間半も雪で止まらない限りはね)。
すぐにまたお会いしましょう。
皆様に心から愛を込めて
モーリス・ラヴェル
アービー ・オレンシュタイン編 "A Ravel Reader: Correspondence, Articles, Interviews"より 日本語訳:だいこくかずえ(葉っぱの坑夫)
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