ChatGPTに聞いてみた。なぜ日本の(一部)出版社は電子本の最適化をしないの? 例:文學界 vs. 文藝。
電子本で本を読みますか?
はい、わたしは結構早い時期からのKindle読書人です。日本にKindleが入ってきたのが2012年ですが、その前にアメリカのアマゾンで買ったKindle端末で本を読んでいました。その端末は今ももっていて、audibleも聞けるので、過去に買った音声作品をいま聴くこともあります。
2012年に日本のアマゾンでもKindleを扱うようになって、それ以降は自分が本を読むときの第一選択肢になってきました。
優先順位として、
1. Kindleで本があればそれを買う
2. ない場合、マーケットプレイスを検討
3. 上記二つとも選べない場合、紙の新刊本を買う
また自分が読むだけでなく、2012年から主宰する葉っぱの坑夫で、Kindle本の出版もしてきました。(PODで紙版も同時発売している)
さて今回のテーマは、電子書籍の最適化です。わたしはKindle以外の電子本は(1、2の例外をのぞいて)読んだことがないので、Kindleのみの話になります。
電子本の最適化については、ずっと疑問をもってきました。さらにはその販売方法についても、少し。サンプルの提供方法についてです。
2012年にKindleが日本化される際、日本の出版界(一部の作家を含む)とアマゾンの間で問題が起きていたようです。たしか交渉がうまく進まず、日本での発売が遅れた、と記憶しています。当時問題になっていた要件を調べようとしましたが、ウェブでそれに関する記事はもう見つかりませんでした。
日本でのKindle端末発売時、多くの出版社の準備が遅れていたため販売できる本がなく、青空文庫のコンテンツ頼りでした。このことにも出版社側の消極性が現れています。
これから書こうとしている「電子書籍にするときの最適化の問題」は、このこと(出版界の消極性)がいくぶんか影響しているのではないか、と想像しています。
最近は新刊発売とほぼ同時期に、Kindleでも本が買えるようになってきましたが、以前は紙の本優先で、しばらくたってからKindleでも発売、というケースがずいぶんあったように思います。それでもまだ、Kindleになるだけまし、といった。
一部の出版社においては、いまもまだ、どこか本のKindle化に積極的ではない様子がうかがえます。というのは、読者の立場からすると、非常に読みにくい状態でKindle化されていて(読者のことが頭にないように見える)、そのまま販売されているからです。
わかりやすので、一つ画像で例を挙げたいと思います。
左は電子本に最適化されていない例、右はされている例です。
左のPDFの画像データの場合、本文の文字が極端に小さく、画像なのでこの状態のままで読むしかなく、普通の意味で読書には向きません。2本指でピンチアウト(拡大)できないことはありませんが、ディスプレイからはみ出してしまったりして調整は難しいです。ピンチアウト、ピンチインを繰り返しながら50ページ、100ページ本を読むことにはストレスがかかります。
右のテキストデータ化されたものだと、文字を自分の読みやすい大きさや種類(明朝、ゴシックなど)に変えることができます。
読みたい本がサンプルで「左」の状態だった場合、わたしはこの本を買いません。まず読むのが難しい。いまどきテキストを画像で読むって?と思うと心底腹が立ってきます。
なぜこのような状態のまま、版元は販売しているのでしょう。担当編集者やディレクターやプロデューサーやそういう人たちは、試し読みしているのでしょうか? その上で、これでいいと思っているのでしょうか。
本当に謎です。
そこでChatGPTに次のような質問をしてみました。
ChatGPTの答え
「日本の出版社が文字中心のKindle本をPDF画像形式で提供する理由には、いくつかの背景や考慮があると考えられます。以下にその可能性を挙げます」
おー、質問意図を汲んでくれた模様。背景と考慮、ね。断定的でないところが信用できそう。
以下GPTの答え(全5項目)に加えて、わたしの感想を加えていきます。
なるほど。そうですね。ビジュアル本の場合、たとえばカーサ・ブルータスとか女性ファッション誌などはKindle化されていますが、レイアウトを崩さないよう、1ページ分まるごと一つの画像にしています。紙の雑誌のレイアウトのまま提示されます。これはとりあえずいいと思います。コミックと同じように、画面をタップしながら(Kindle Fire、iPadのようなデバイスで読むのが前提)、ページ内を右上、右下、左上、というように移動して読みます。
文字中心の本の場合も、レイアウトを崩したくない、という理由で画像データにしているのは想像できます。日本の紙の本は一般に、造本が美しく、そこに力を入れて本づくりしています。ブックデザイナーがレイアウトした美しい誌面を壊さない、だから紙の本のままのデザインで画像にして提供する。そういうことはあるかもしれません(ただし紙の本のサイズとiPhone 、Kindle端末などのディスプレイのサイズが違うのが問題になります)。
なるほど。デジタルデータはワンクリックで無限に複製できる、という特性のため、著作権侵害の糸口になるかもしれません。しかしKindle本の場合、不正配布を防ぐためのテクノロジー(DRM)が使われていて、一定の保護がなされています。このDRMは、著者によっては作品を広めてほしいという希望から、この保護システムを適用しない人もいます。個人がKDPでKindle本を出版する場合、最初の設定のところで適用するかどうか聞かれます。
DRMが適用されている場合も、一定範囲内のテキストのコピーは可能です。これがなかなか便利な機能で、Kindleで読んでいて、ある一節を友だちに「この本のここいいよ、読んでみて」と伝えたい場合、その部分にハイライトを入れ、「シェア」を選び、メールアドレスを登録後、その人を選べば友だちのスマホなりパソコンなりにその一節が届きます。音楽のプレイリストのシェアなどと同じ考えですね。新しい読書スタイルには、こういう可能性も含まれます。(画像のPDFだと、この操作はできません)
また記事を書いていて、ある一節なり段落を引用したい場合も便利です。同じようにテキストをハイライトして、その部分をシェアすればいいのです。自分のメールアドレスを事前に登録しておきます。コピペなので、写し間違えなどなく一字一句正確に引用できます。
また外国語の本を読んでいる場合、本文がテキストデータであれば、ハイライトした箇所を翻訳させることも可能です。日本語の本を読む海外の人も増えているようですが、彼らに便利なツールの使用を可能にします。もちろん英語の本を日本語に翻訳させることもできます。これが画像データだとすべて無理です。
データが開かれているか開かれていないか、という問題は、このように著作権保護と、データの汎用性の向上と両方のことに関係してきます。
この3番目の理由はけっこう大きいのかもしれません。電子書籍で本を読んで欲しいと強く思っていない場合(まずは印刷済みの在庫本を売りたいなど)、コストをかけてまで電子書籍にしないということが起きます。ただし変換の手間はないものの、実用に不向きな本になってしまいます。版元側には手間とコストがいらないので利点がありますが、読者にとっては、文字が小さい、サイズやフォントを変更できない、リンクが無効などいいことがありません。
出版社がデジタル化に慣れていない、というのも日本の出版社の場合、あるかもしれません。かえってKDPで自費出版する一般の人の方が、本のデジタル化の知識は豊富で、自分の本を手軽に電子書籍化しています。パソコンで書いた元原稿があれば、そのデータを電子書籍化するのはそれほど難しいことではありません。
商業出版社の方々も、当初はコストをかけずとも、社内に専任の担当者をつくり、シンプルな作りの電子書籍をつくることから始めてはいかがでしょう。印刷データ「丸投げ」本よりずっと、誠意のある本になるはずです。
これも十分想像できることです。よい指摘だと思います。
優先順位の低さには、紙の本を大事に作ってきたという誇りがあるのかもしれません。本は本来、紙で読むもの、読むべきものだ、と。
あとやはり在庫の問題から、印刷済みの紙の本をまず売りたい、それが優先されていて、電子書籍で買われてしまうと、、、という心配があるのかもしれません。辛いところでしょうが、電子版でも売れることで本が広がっていく効果もあるのでは。一つだけの窓口より、複数の選択肢がある方が、読者にとって利益があるのであれば、それは本の伝播につながる気がします。
これに関連して、Kindle本のサンプル本(試し読み)について。日本語の本では、この購入前のサンプル本の提供量が非常に少ない場合があります。アマゾンの規定では本全体の10%となっているようですが、実際には4%以下しかないことが多いです。ごくたまに10%ちゃんとある場合があり、これくらい読めると買うかどうかの判断がしやすいです。このサンプル量の違いはどこから来るのか、著者の許可なのか、版元の保護策なのか。わかりません。葉っぱの坑夫の本も、ぜひ最低10%はサンプル表示してほしいので発売後にチェックを入れます。KDPを通しての販売では問題なく10%になります。代理店通しで4%になっていた場合は、修正して10%にしてもらいます。
アマゾン側の規定は10%のはずなので、なぜ4%本がこんなにたくさんあるのか、不思議です。
洋書はサンプル量がどれも多いので10%を満たしていると思います。Kindleスタート当時は、英語の本はサンプルが20%あったものもありました。このあたりアマゾン本社と、アマゾンジャパンの、あるいは日本の版元や著者の意識との違いが出ている可能性があります。
先日、ある日本の著名作家の小説でたった1%しか読めないサンプル本がありました(新潮社)。ここまで少なくないまでも、サンプル4%というのはどうでしょう。特に本の冒頭に(紙の本に倣って)写真や画像が何ページも入っている場合、本文に入ったとたんに終わりになります。こういうことも、出版社が電子化する際の配慮が足りないんだな、という想像につながります。
以前に本の編集に関する素晴らしい本があり、買いたいと思ったのですが、そのKindle本がPDFの画像によるもので、買うのを諦めたことがあります。文字が小さく薄くて読めなかったことと、冒頭に画像がたくさんあって、本文部分に入ったとたん、サンプル終了になりました。これはサンプルの量は、データ容量で決まっているからです。データ容量の4%とか10%ということ。
そのとき思ったのは、「編集」に関する本を出すのなら、電子本を出す際、電子書籍に最適化した本に編集し直すことも、編集にとって大事なことではないかなと。素晴らしい内容の編集の本も、その電子版の編集のレベルが低くては、編集の話もなにもなくなってしまうのでは?と。(この本は最近、文字データ化されたようですが、サンプル本のDLはなぜかできませんでした)
電子書籍の作り方ですが、もちろん紙の本版の文字データをそのまま使えます。その際、総合的に見て、電子書籍に最適化したデザイン、レイアウトをすべきなのです。たとえば電子版では、冒頭の画像は減らして、サンプル版でなるべく本文をたくさん読んでもらえるようにすることも大事です。他にも細かく気を配れば、電子書籍ならでは優れた編集、デザインができるはずです。デザインとは「設計」のことで、見た目の美しさだけではなく、そのメディアにとっての機能性が最大限追求されるべきです。
紙の本の優れたデザインをそのまま電子書籍に転用することが、実は本のデザインの質を大きく落としていることに、早く気づいてほしいです。
非常に納得のいく、そしてよく分析された回答だと思います。
「電子書籍の最適化に対する意識が低い」この部分は、近い将来、なるべく早く解決してほしいですね。
紙の本が将来どのようになるかわかりませんが、「電子書籍化を遅らせる」という方法で、本の伝統を守ろうとするのなら、それは間違っているように思います。小説などのテキストメディアを人がまったく読まなくなる、とも思いませんが、他のメディア(コミックやゲームなど)に押されて縮小の一途をたどった場合も、細々と生き残る道としては、紙ではなく、電子書籍の方に可能性があるのでは? 紙の本は伝統工芸的なものとして、紙の選択や造本スタイル、表紙を含めデザインに凝った愛蔵本のような形で残っていくかもしれません。
一方、電子書籍の方は、もしかしたらテキストの元データ売り、みたいな形で、受け手はそのデータを自分の好きなアプリに流して読んだり、高精度の音声ソフトで変換して聞いて楽しんだり、場合によってはテキストからAIによってコミック形式にして、漫画として読んだり、なんてことも想像できます。
最後にタイトルにあげた文芸誌のKindle化はどうなっているのか、例を画像で紹介します。
まず文學界のKindle版。(データの最適化がなされている)
右:目次ページ(リンクが付いていて、そこから本文に進める)
中:エッセイのページ(タイトル周りは画像。本文の文字サイズは自由に変換)
左:小説の扉ページ(扉らしくデザイン。このページは画像で問題ない。)
次は文藝のKindle版。(すべて画像。紙の本版のレイアウトを流用)
右:目次ページ(リンクなし、最小サイズの文字は小さすぎ)
中:創作の扉ページ(タイトルはいいけれど、本文の文字は小さすぎ)
左:小説本文(文字が小さすぎ、コミックのようにタップして読むしかない)
いかがでしょう。
紙の雑誌から電子本にする際、文學界は編集し直し、画像も使いつつ文字の大小で変化をつけ、きちんとデザインし最適化しています。電子書籍のデザインで何ができるのか、のよい例になります。
ただし残念ながらサンプルは4%どまりでした。冒頭の小説2作品(川上弘美「くぐる」、村田沙耶香「残雪」)は、どちらも短いのでまるまる読めましたが。(総ページは320頁)
一方、文藝の方は紙の本のデザインをそのまま画像にして当てはめただけ。文字が主体の文芸書を、コミックのようにタップして部分拡大しながら読むのは辛い。リンクもハイライトも効かないので、その点も電子書籍の利点が生かせていません。
ちなみに他の文芸誌はどうかと見てみると、「群像」は2016年10月号が1回Kindle版で出ているのみ。「新潮」「すばる」はなし。
五大文芸誌と言われているものの中で、本の電子化について合格点をつけられるのは「文學界」のみでした。文學界ができるなら、他の出版社もできるのでは? 少なくとも技術的な面でいうと、電子書籍に最適化したデザインは可能だと思います。ただこのような精緻なデザインに仕上げるには、技術がいるため専門の電子書籍編集者とデザイナーが必要になります。つまりコストはかかります。
テキストベースのごくシンプルな作りのKindle本なら、専門的な知識がなくとも、Word書類などから簡単に作れます。「本を読む」という機能性においては、画像データを流用するよりずっといいと思います。
文芸誌のような読者数が限られている本こそ、電子書籍化は生き延びるための一つの方法になりそうだと思うのですが。
もし文芸各誌が最適化されたKindle本になったら、新しい作家を探したり、文学の現状を見るために、あれこれ買って読んでみたいと思います。
*電子書籍の例は、すべてiPhoneのスクリーンショットで撮りました。
わたし自身はKindle端末(モノクロ)で読むことが多いですが、一般的にはスマホのアプリで読むケースが多いのではと思い、iPhoneの画面を例にとりました。