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英語ハイクが窓をひらいてくれた(1)
俳句というものをほとんど知りませんでした。葉っぱの坑夫をスタートさせた頃(2000年前後)のことです。俳人で名前を知っていると言えば、松尾芭蕉と小林一茶くらい。山頭火? あれは歌人、それとも俳人? のような知識でした。常識以下だったと思います。
それがあるときEnglish language haikuというものに出会って大きく変わりました。シカゴを本拠にするインディペンデントの非営利パブリッシャー「A Small Garlic Press」(以下ASGP)で、英語ハイクの本を見つけたのです。ポール・デイヴィッド・メナの "Tenement Landscapes" とアレクセイ・アンドレイエフの "Moyayama; Russian haiku: a diary"の2冊でした。
えっ、なに? エイゴハイクってそれは何ナノ??? そういう感じでした。どういうものか知りたくて、ASPGの主宰者マレク・ルゴウスキー氏にメールで本の購入を申し込みました。当時はまだ海外とお金のやりとりを頻繁にしていたわけではなく、確か国際郵便為替を郵便で送ったような記憶があります。
届いた本は、カラーのボール紙の表紙のごく薄い手製本のような体裁(当時のオンデマンド印刷本)で、日本でも最近はzineの名で知られているスタイルのものでした(ただしASGPではこれをチャップブックと呼んでいました。chapbookにはまたzineとは違う歴史があります)。ノンブルでいうとポールの本が13ページ、アレクセイの本が37ページ。
たった39の俳句を集めたポールの俳句集には、しっかりとしたPreface(まえがき)がついていました。Dhugal J. Lindsay(ドゥーグル・J・リンズィー)氏によるもので、東京在住のオーストラリアの俳人のようでした。いまネットで調べたところ、リンズィー氏はいまも日本に住んでいるかもしれず、毎日新聞の英語版(The Mainichi)で英語ハイクのセレクションをされています。
Haiku in English: Best of 2020
実はこのASGP出版の二つの英語ハイク集は、葉っぱの坑夫スタート時の最初の出版コンテンツでした。日本語のタイトルは『ニューヨーク、アパアト暮らし』と『ロシア語ハイク日記:ぼくのほらあな』です。マレク(ルゴウスキー氏をこう呼んでいました)をとおして日本語翻訳の許可をもらい、翻訳やサイト制作の際は、著者たちと直接メール交換もしていました。
俳句をまったく知らなかったわたしが、なぜ英語ハイクにこんなに夢中になったのか。一つには英語の俳句は理解しやすく、描かれている世界がくっきり目に浮かび、心情的にも近い感じがした、ということがあります。パッと見てわかる、何を言っているのかが理解できる。それに比べると日本語の俳句の場合、わかるときもあるけれどよくわからないことも多い。古文や古典文学の教養がないせいです。(当時は日本の現代俳句も知りませんでした)
それと英語ハイクには何か自由な空気感がありました。流派のようなものもなさそうで、季語も必須ではなさそうでした。日本語の俳句には、通常の現代日本語にない表現や慣用句のようなものがありそうでしたが、英語のハイクの場合、普通の一般的な用語で書かれていました。
英語ハイクを読んだり、訳したりしていて気づいたことがありました。そもそも俳句というアートは、[ 決められたルールの中で、過去の作品の蓄積の上に乗って、季節ごとの、あるいは俳句に適した題材でうまく何かを描写すること ]、では必ずしもないのでは、と。わたしが英語ハイクを読んでいてああそうか、と発見したのは、ハッと心を揺さぶられる風景、光景、情景を写真のように、言葉でフレーミングすること、切り取ること。それが俳句かもしれない! ニューヨークであれダカールであれ、ライブ会場の人波であれ、飛行場の搭乗時の情景であれ、題材が日本的情緒や自然にまつわるものでなくてもいい。また日本語の俳句の5・7・5のようなシラブル上のルールも、必ずしも俳句の本質とはならない(少なくとも英語ハイクでは)。
その解放感が日本語の俳句という土壌で生まれ育った者にとっては、特別に新鮮に感じられたのだと思います。
英語ハイクを読んだことのない人のために、ここでポールとアレクセイの俳句集から、いくつか作品を紹介したいと思います。
『ニューヨーク、アパアト暮らし』(Tenement Landscapes, 1995)より
*tenementとは安い家賃の部屋貸しアパート、長屋のようなイメージか。
イースト・ニューヨークの朝
お日さまと サルサが
ぼくの へやに ながれこむ
East New York morning:
sunshine and salsa
flood my apartment
*
突風ひとつ
きのうの見出しが
飛びさる 街かど
a sudden gust -
yesterday's headline
crosses the street
*
ポンと あいた まるい穴
ソーホーの 夜に
こはくの 月 のぼる
punching a hole
through the Soho night -
amber moon
*
ドゥーガル・J・リンズィー氏の「まえがき」から:
たった一度のニューヨーク訪問の経験しかない私ですが、この句集を読んでいる間中、あのニューヨークにまた私自身が立っているかのように感じられたものです。ソーホーの夜明け、トンプキン広場の男とハトの群れ、うら階段できめる今日の夕食、うす暗い通りから眺める月の姿。ポールの俳句には視覚への強い嗜好性がありますが、これがニューヨーク、と思わせる街の音やにおいも同時につかみとっています。
*イースト・ニューヨークの朝を描いたハイクはまさにそう。ラティーノの多く住むこの地域、窓を開けるとサルサソースの香りが、、、というのはニューヨークを知らなくても情景が浮かびます。
音を描いたこんなユーモラスなハイクもあります。
アダルト系本屋さん
で、ホッとひと息
教会の われ鐘から のがれて
adult book store
a refuge
from church bells
*当時、こんなコメントを著者のポールは送ってくれました。
「ニューヨークでは鐘のある教会といえば、セント・パトリック大聖堂など年代ものの教会くらい。鐘の音はとても美しいけれど、音はばかでかい。ニューヨークの喧噪の中では、場違いな音。それに引きかえ、アダルト系の本屋さんの、静かなことといったら。」
『ロシア語ハイク日記:ぼくのほらあな』(Moyayama, 1996)より
アレクセイは当時、アメリカの大学に留学していて、ロシア語で書いた俳句を自分で英語に翻訳している。
飛行機で
レモンを想う
離陸中
the plane is taking off -
I'm thinking about lemons
*
知りあいに会った。「あたし、国に帰るの」と言う。「いつ?」ぼくが聞く。「1ヶ月以内に。いえ、3週間と4日だわ」彼女は東ドイツの人。
暖かかった3月に
突然の雪。今日
英語はしゃべりたくない
sudden snow
during warm March: today
I won't speak English
*
24才の誕生日
ブランコに すわって
風に ゆられてる
24th birthday:
sitting on the swing,
swinging with the wind
*アレクセイのハイクにはいつも、何を描いても、故郷のロシアを想っている感じが出ています。たとえば:
となりのテーブルの友だちが言う。「あのね、アメリカではね、家の中でかさを開いておくと不幸を呼ぶって言うのよ」そいつのかさは、テーブルの下のきたない床に寝そべっている。「なわけない」とぼく。「雨を乾かすだけさ。雨ふりの国では百万回って試されてるさ」
カフェの隅っこに
ぼくのロシア傘が
開いてる、濡れたまま
in the corner of the cafe -
my russian umbrella
open, still wet
いかがでしょう。日本語訳を読んで英語原文を見ると、なんて簡単なと思われるかもしれません。ただ(日本語の俳句でもそうですが)言葉が最小限に切り詰められているので、ときに意味をつかむのが難しいこともあります。ある程度、その俳句の背景を知らないと理解を間違うことにもなります。この2冊の俳句集を訳していたときは、メールでそれぞれの著者に、わからないところを質問したり、確認をとったりしたのを覚えています。アレクセイの本には、そのときのメールの返事も載せています。それがまた、けっこう面白いのです。ロシアの文化や人々の考えについて、丁寧に説明してくれて、初めて知ることが多かったです。
さてこうやって俳句への道が少し開けてきたところで、また新たな展開がその後に起きました。当時、葉っぱの坑夫で「ことばの断片:Fragments」という参加型のプロジェクトをやっていたこともあり、日本だけでなく世界各国から詩や俳句、エッセイなどの投稿がよくありました。あるときアメリカのミズーリ州に住むジョン・サンドバックという詩人からメールが届きました。俳句を書いているので読んでくれないか、という内容だったと思います。サンドバックさんの俳句は、1歳半のときから住んでいるミズーリ州の自然を詠んだものが大半でした。ポールのニューヨークの街の風景とも、アレクセイのロシア人の目をとおしたアメリカの風景や出来事とも違い、同じアメリカが題材ですが、そこにあるのは広大な大地と空、荒涼とした時に厳しく激しい自然の情景でした。
アメリカ西部の沙漠地帯の風景は、作品を訳したことがあって馴染みがありましたが、中部の自然は未知のものでした。ミズーリ州の自然とはどんなものか、以下はサンドバックさんによる解説です。
ミズーリ州は複数の気候帯の境界線上にあるため、天候を予測するのがとてもむずかしい地域です。天気はくるくると変わることが多く、あきることがありません。ミズーリの南部にあるオーザック山脈は古代の山々ですが、いまは山というより丘陵となり、深い森におおわれています。
ミズーリには五千八百を越える洞窟があり、非常な密集度と総数において世界でも類をみない場所と言われています。また水晶やさまざまな鉱物の宝庫でもあります。
これは2002年にサンドバックさんの俳句を100句選んで本にしたときの、まえがきからの引用です。本のタイトルは『ステップ・イントゥ・スカイ』。空に足を踏み入れる、といった意味です。天と地が逆転したイメージ、あるいは人が逆さになって、空の中に入っていく感じでしょうか。
new moon
thin and sharp
as broken glass
新月
細く 鋭い
ガラスの 破片
*
acid green lichen
on the tree
lizard spirits hiding
鮮やかな 緑苔
木を 這う
トカゲの心 かくして
*
thunder echoing
through night's
vast cave
とどろく 雷鳴
夜という
巨大な 洞窟に
サンドバックさんは職業的な占星術師で、またpsychic readings(読心霊術)やintuitive counselling(直観カウンセリング)なども行ない、それについての著書もあります。そのためか自然の風景や野生動物、植物や鉱物を詠むときも、どこか普通とは違う目の止め方、不思議な感性、スピリチュアルといってもいいセンスが感じられます。それが日本の読者にも伝わったようでした。この自然の受けとめ方は、日本の俳句に現れるものとはちょっと違っていて、そこのところもまた面白く感じた点です。
『ステップ・イントゥ・スカイ』に解説文を書いていただいた、俳人で「世界俳句」の提唱者、夏石番矢さんはサンドバックさんのことを「アメリカ大陸のまんなかの、かわいた砂だらけの小川に、月を招いて語りあう、宇宙的ポエジーの俳人」と名づけていました。
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