[インタビュー] お気に入りはシェーンベルク(初めてのスペインにて) 1924.5.1
マドリード ABC de Madridのアンドレ・ルベス記者によるインタビュー
ラヴェルは体格的に非常にストラヴィンスキーに似ています。小さくて、痩せていて、重量感のないからだはそっくりだし、大きな口、高々とした鼻、文化と教養を反映した特徴ある顔つきも似ています。
マドリードはオテル・ド・パリの一室で、ラヴェルはわたしを迎えてくれました。黒いシルクのパジャマを着て、テーブルにすわって作曲をしていました。午前11時半のことで、開け放たれた窓からは、明るい日差しとプエルタ・デル・ソル(太陽の門)の広場の騒音が、部屋一杯に入ってきていました。
ラヴェルとスペイン
記者:マドリードにいてこの素晴らしい天気を楽しまないとは、どういうことなんです? 急ぎのお仕事でもあるんでしょうか?
ラヴェル:そうなんですよ、急かされてます。出版社がこれを待っているんです。サラサーテのスタイルのバイオリンのための名人芸的な楽曲で。
記者:ご興味がないようですけど、この時間のマドリードがどんなに素晴らしいか、ご存じない?
ラヴェル:いや、知りませんね。スペインは今回が初めてで。実際のところ、残念な気分ですよ。というのもマドリードなしには、わたしは存在しなかったかもしれないんで。わたしの両親は、マドリードで出会ったんです。父はフランス政府の鉄道技術者で、母はサン=ジャン=ド=リュズ出身のバスク人なんですが、おそらく先祖はスペイン人です。母はわたしを寝かしつけるのに、グアヒラ*を歌ってくれました。スペインとその音楽にわたしが惹きつけられるのは、そのせいかもしれません。
記者:マドリードに着いてから、これまでにどこに行かれましたか?
ラヴェル:プラド美術館だけです。マドリードに着いて1時間後には、プラドに駆けつけました。ホセ・デ・リベーラは偉大な画家ですね。それにベラスケスの部屋の美しいことといったら。エル・グレコとゴヤの作品をもっと注意深く見るために、美術館にまた行かなくては。
好きな作曲家
記者:現代の作曲家の中で誰がいちばんお気に入りでしょうか。
ラヴェル:おそらくアルノルト・シェーンベルクかと。彼はドイツの作曲家にとてつもない影響を与えましたし、フランスの作曲家にもストラヴィンスキーをつうじて影響を与えています。シェーンベルクはウィーン出身のユダヤ系で、そのせいで、マックス・レーガーのような生粋のドイツ人作曲家よりも冷たいところがなく、知性に偏ることもなく、抽象性も低いんです。シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』は最高の心地よさがあり、同時に激しい胸の痛みをわたしに与えました。
シュトラウスはロマンある天才で、典型的なドイツ人であり、我々フランス人とは大きく違います。ロシア人の中では、ストラヴィンスキーとプロコフィエフが非常に好きです。フランス人ですと、ダリウス・ミヨーがいます。非常に若いときに書かれたオペラ『迷える子羊(La Brebis égarée)』のミヨーではなくて、『プロテウス』やピアノとオーケストラのための『5つのエチュード』を書いたミヨーです。
さらにはプーランクとオーリック、そしてマダム・ジェルメーヌ・タイユフェール*がいますね。彼女の作品は優しく柔らかな魅力にあふれていて、質的にも充分すばらしいものがあります。そして最後にくるのはオネゲルです。彼のルーツはスイスのドイツ語圏ですが、フランスで生まれ、教育を受けています。そして彼の芸術はフランスとドイツ両方から引き出されています。ドイツ系であることから、壮大さを好むところがあります。スペインを見れば、マヌエル・デ・ファリャがいます。世界の中で最高級の音楽家の一人です。
記者:前の世代の作曲家の中では、誰がお好きでしょうか?
ラヴェル:グノーはフランス音楽のあらゆる面において、大きな影響を与えた人でしょう。『ファウスト』『フィレモンとボシス』の作曲家であるグノーは、シャブリエ、ビゼー、ラロ、フォーレほかたくさんの作曲家の教師でもありました。おそらくグノーなしには、フランスの近代音楽は存在しなかったのでは。わたしはフォーレの『ペネロープ』がとても好きです。劇場的効果より、純粋な音楽効果のある作品です。フランスの古典作品で言うと、ラモーよりクープランが好みです。ラモーは極度に知性の時代を生きた人で、その作品は彼の生きた時代の無味乾燥なところを反映しています。
記者:ワーグナーについてはどう思われますか?
ラヴェル:今日、我々は、彼について話す自由を獲得しています。ワーグナーによる極度の影響の弊害はもうありません。彼について先入観や偏見なしに話すことができ、美徳と欠陥の両方を備えた、偉大な音楽家だったと明言することができます。ワーグナーの主たる欠陥はオーケストレーションです。それは多くの人が誤って信じているように、ベルリオーズやリストからではなく、ジャコモ・マイアベーアから受け継いたものです。ワーグナーとの違いは、軍隊音楽のようなものにおいて、マイアベーアの方が技量が高かったということ。
記者:ヴェルディはどうでしょう。
ラヴェル:好きなのは初期のヴェルディのみです。『運命の力』『仮面舞踏会』の作曲家としてのヴェルディ。その後、彼は過剰に粗野になりました。新しさを取り入れるために、ワーグナーの真似をし始めるというのは良くなかったね、率直に言えば。いずれにせよ、ヴェルディはベッリーニより劣るとわたしは見ています
記者
ロシア人作曲家について話しているとき、わたしは1ヶ月前にストラヴィンスキーにインタビューしたときのことを伝えました。そしてストラヴィンスキーがチャイコフスキーを称賛し、リムスキー・コルサコフをさげすんでいることについての意見を聞きました。
ラヴェル:ストラヴィンスキーのチャイコフスキーへの狂信には矛盾があるね。『くるみ割り人形』は魅力あるなかなか良い作品だけど、それほど重要というわけではない。たとえばドリーブの『コッペリア』や『シルビア』と比べたらね。チャイコフスキーはロシア人作曲家の中ではロシア的でない、それゆえに我々にとっては興味が低まります。ムソルグスキーの方がずっと上ですね。
リムスキー・コルサコフについては、ストラヴィンスキーは自分の先生だった彼に対して、あまり恩義を感じていません。リムスキーの『プスコフの娘』は、ムソルグスキーの『ボリス・ゴドゥノフ』と同じ時期、同じく官吏勤めのときに書かれたんです。そしていくつかの小節は同じインスピレーションからきている。今にいたっては、二人のうち、どちらがどちらに影響を与えたか判断するのは難しいね。忘れてならないのは、「ロシア五人組*」の多くの作品をオーケストレーションしたのは、リムスキーだということ。
記者:あなたのご意見では、最も優れた作曲家は誰になるのでしょう。
ラヴェル:わたしにとって、それはモーツァルトです。モーツァルトは完璧です。彼はギリシア人であり、ベートーヴェンはローマ人です。ギリシア人は偉大であり、ローマ人は壮大です。わたしは偉大さを好みます。モーツァルトの『イドメネオ』の第3幕ほど卓越したものはありません。
自己批評
ラヴェル:政治的にはそうではありませんが、芸術については、わたしは愛国者です。自分が何をおいてもフランスの作曲家であると自覚しています。その上、自分を古典主義者であると明言しますよ。また自分が、フランス人芸術家として、美徳と欠陥をもっているのも知っています。フランス人は壮大な作品をつくる方法を知らず、また知りたいとも思っていません。わたしたちは感情より知性を尊ぶ傾向がありますが、その中で完璧なところにまで到達することができます。
芸術における最大の欠陥、それをわたしは誠実さとみなします。なぜなら誠実さは、選択の可能性を排除するからです。芸術とは、自然における不完全さを正すことです。芸術は美しき嘘です。
芸術において最も面白いことは、難しいことを乗り越えようとする行為です。作曲におけるわたしの教師は、エドガー・アラン・ポーです。それはポーの素晴らしい詩『大鴉』における、彼の分析からきています。ポーは、真の芸術は、純粋な知性と感情のバランスを完璧にとるということを教えてくれました。わたしの初期の創作は、ドビュッシーへの抵抗でした。様式、組織・構成、構造の放棄に対しての抵抗です。
簡単に言うと、これはわたしの持論の核心です。もしお望みなら、ここでわたしの作品についてお話ししましょう。わたしは自作の『ステファヌ・マラルメの3つの詩』を偏愛しています。これはまず、世に知られる作品にはならないでしょう。なぜならわたしはそこに、マラルメの文学的手法を入れこんだからです。マラルメはフランスの最も偉大な詩人である、と個人的に思っています。
バイオリンとチェロのためのソナタ、これは2つの楽器のための真に交響的な作品ですが、わたしは新しくて面白い効果をここで成し遂げています。最後の楽章で、わたしはモーツァルトのロンドを真似ています。
わたしの1幕のオペラ、フラン・ノアンによる『スペインの時』はよく知られた作品です。現在、コレットととてもユニークな作品を制作中ですが、それは歌によるファンタジーで、美しい叙情的な詩からミュージック・ホールの歌に至るあらゆる種類の歌が混在しています。
記者:『ラ・ヴァルス』へのあなたのお考えと、クーセヴィツキーの演奏についてお聞かせください。
ラヴェル:クーセヴィツキーはいつも個性的な解釈をする巨匠です。見事に演奏するときもありますが、ときに間違った演奏もします。『ラ・ヴァルス』については、解釈が成功しているとは言えないですね。この曲を悲劇的なものと見る人がいます。ある人はフランスの第2帝政の終わりを表していると見ています。また第一次世界大戦後のウィーンと取る人もいます。すべて間違っています。確かにこの曲は悲劇を扱っていますが、それはギリシア的なものなんです。巡る運命であり宿命です。グルグルまわる旋回の表現であり、爆発の瞬間へと向かうダンスの官能の表現なのです。『ラ・ヴァルス』は舞台に向いていますが、わたしはロマンチックなワルツの都市、ウィーンでの初演にとっておきたいと思っています。