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なぜ写真をとるのか(という間抜けな質問)

なぜ山に登るの か → そこに山があるから。なぜ写真をとるのか → 手にスマホがあるから。

写真、日常的に撮りますよね。特別なことがなくても、おやつを食べたり、音楽を聞いたりするくらいの動機で、誰もが写真を撮っています、スマホで。そこにスマホがあるから撮る。

フィルムからデジカメに移行したとき以上に、電話端末で写真を撮るようになって、写真を撮るという行為が(その機会や回数も)すごく変わったなと思います。(さらにそれがSNSに繋がっているという意味でも)

「カメラを構える」という言葉は、スマホには似合いません。構える、という言葉には、写真機をもつときの格好だけでなく、撮るときの態度も入っているように思います。*下の写真:Photo by mbeo (CC BY-NC-ND 2.0)

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そんなスマホ時代の写真を体験しているいま、人はなぜ写真を撮るのかというバカバカしい問いを、ここであえてしてみようと思いました。以下、人と写真の関係をいくつかの例をあげて考察してみます。

他人の人生に巻き込まれる恐怖をあじわう写真
先日Facebookを見ていたら、写真家の古屋誠一さんが『Face to Face』という新しい写真集を出したというThe New Yorkerの記事と出会いました。(実は写真に関心が向いたのは、この本の存在を知ったことが動機になっています。) 古屋誠一! 何年ぶりに聞く名前だろう。と思って、記事を読みにいきました。

古屋誠一がどういう人かというと、若い頃にヨーロッパに行ってそこで結婚し、写真家となり、いまも向こう(オーストリア)に住んでいる人。結婚数年後に妻を自殺でなくし、妻を撮った写真で有名になり、それを題材に何冊も作品集を出している人。主要事項を書くとすると、まずこんなところでしょうか。

『Face to Face』の紹介を見てまず驚いたのが、この写真集が、古屋が撮った妻のクリスティーネの写真の隣りに、クリスティーネが撮った古屋の写真を並べて編集していること。たとえばこのページのトップに置いた写真は、その一例。同じときに、同じ背景(状況)で互いが互いを交代で撮った写真に見えます。古屋と子どもが映っている方は、顔に深く影が入っていて素人が撮ったものだとわかります(あるいはなんらかの意図があってそうしたのか)。この本に収録されている夫と妻が互いに撮った多くの写真は、同じとき、同じ背景で撮られたもののようです。フランスの出版社、CHOSE COMMUNEのサイト(下)で、12の見開きでそれが紹介されています。

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この写真集ができたいきさつとして、妻の死後、何十年もたってから、妻の撮った写真のフィルムが残っていることに古屋が気づいたことがあるようです。古屋によると、当時互いに写真を撮りあっていたこと、クリスティーネが頻繁に写真を撮っていたことに気づいていなかった(記憶から消えていた)とか。気づいていなかった? そんなことがあるのだろうか。古屋誠一の過去の写真を知っている者にとっては、なんというか、、、一言でいうと衝撃でした。妻のクリスティーネというのは、たしかに被写体としての強烈なインパクトで見るものをたじろがせましたが、その本人がまさか撮影者として、死後30年以上たって写真を「発表する」とは、、、、驚きました。

古屋誠一の写真には、作品という枠に収まりきらないのものがあるように思います。作品以下でもあり作品以上でもあるような。作品はアートの世界に存在するものですが(だからお金を出して買ったり、家に飾ったりする)、古屋誠一の写真はアートなどといっている余裕のない、もっと切実なものという印象があります。その意味で作品以下かもしれません。しかしその意味で作品以上のものでもありえるのです。

そんな中「古屋誠一」とはどんな人だったか、いま一度思い出そうと、グーグルで検索してみました。ワードを入れると、ページサイドのポップアップにAmazonの本の紹介が出てきました。小林紀晴著『愛のかたち』(河出文庫、2019年)。んんん?と思ってどんな本か見てみると、長期取材によるアクティブな作家論のような内容です。小林の古屋誠一への強い関心、古屋の写真や生き方の謎に迫りたいという、止むに止まれぬ衝動から生まれた本のように見えました。ピンとくるものがあったので、迷わずその場で購入しました(Kindle版)。

愛のかたち』は写真家の小林紀晴が、1991年に古屋誠一の写真展を見たことがきっかけとなり、2000年から2011年まで何回にもわたって取材し、親しい間柄になり、その結果知り得たこと、それについて思考したことをまとめた本です。2012年の出版ですが、わたしは文庫化された2019年度版を電子書籍で読みました。古屋誠一という写真家を作品と人間性の両面から追ったノンフィクションとして、非常に優れており、ミステリーを読んでいるような、未知の世界に足を踏み入れてしまったような、恐れと謎に満ちた本です。読んで正解でした。

ただ読んでいる間、(著者の小林が取材する中で感じていたように)読者である自分も、古屋誠一という人の人生に深入りしていくような怖さも感じました。それは必ずしも陰鬱なものというわけではなく、真実を知っていく怖さのようなものだったと思います。

古屋誠一は死んだ妻の写真を作品集にし続けている理由の一つとして、息子の光明さんのことをあげています。妻のクリスティーネが飛び降り自殺をしたとき、光明さんは4歳でした。小さな子どもを残して自殺する、というのはそれだけでもショッキングなこと、胸が痛みます。古屋は写真集について「すべては光明のため」という言葉も口にしていたようです。「やっぱり義務だと思うね。責任だよね。お母さんがどう亡くなったのか、彼は知る権利があるんだよ」と。

古屋は1985年に、当時住んでいた東ベルリンのアパートの9階から、クリスティーネさんが飛び降りたとき(妻の異変を感じて9階まで駆け上がったが間に合わなかった)、妻のもとに駆けつけるのではなく、自分の家までカメラを取りにもどり、また9階に駆け上がってそこから地面に横たわる妻に向けて1回シャッターを切りました。カメラを取りにもどったとき、息子にこう告げています。「光ちゃん、ママが死んだ」 息子はこう聞きます。「パパがママを殺したの?」「そうだ」 なんという会話でしょう。

古屋誠一という写真家、妻のクリスティーネ、息子の光明さん、そして起きたことの顛末に深く関わろうとした写真家・小林紀晴。『愛のかたち』の読者は、古屋誠一という人の写真の意味や謎にとどまらず、古屋誠一のこの30年間の生全体に巻き込まれるかたちになります。

これが絵画や他のアートであればこうなることはなく、やはり写真だったからこうなったとしか思えません。その意味で、時代や技術の変化でどれだけ写真が変化したとしても、写真というものの本質は、案外変わっていないのかもしれません。

もし古屋とクリスティーネが、1980年代ではなく2020年代に互いを撮りあっていたとしたら、、、インスタグラムに写真を投稿したりしていたでしょうか。もしそういうことがあったとしたら、二人の人生の展開はまったく違ったものになっていたかもしれません。

『Face to Face』のことを知ったとき、最初に思ったのは、写真がアートの世界にとどまらないという現象が、ここでも起きていたんだということ。写真家の撮ったものと、その妻の撮ったものが並列されている作品集の意味は、写真のクォリティ(技術的要素)を問題にしていないことに繋がります。このことも写真の意味が変わったことの一つの証明になるように思います。もし妻の写真のフィルムが発見されたのが、1980年代だったら、このような本をつくるアイディアは生まれたでしょうか。
古屋誠一16,000字ロングインタヴュー、亡き妻に永遠の生を与えるために」(IMA、2020.12.24)

妻、ジョージア・オキーフの場合
巨大な花や沙漠のランドスケープの絵で知られる、アメリカの画家ジョージア・オキーフが被写体の写真集『Georgia O’Keefee A Portrait』が、手元にあります。夫のアルフレッド・スティーグリッツによる、オキーフのポートレイト写真がコレクションされたもので、非常に大きなサイズの本です。

久しぶりに見返したこの写真集、まず驚いたのは、本の冒頭に置かれたイントロダクションがオキーフによって書かれていることでした。版元はメトロポリタン美術館。本の終わりに置かれた美術館のキュレーターによる長い文章を読むと、この写真集の企画は、当時90歳近かったオキーフ自身のアイディアから始まっていたのでした。(初版出版:1978年)

1976年秋、オキーフはメトロポリタン美術館を訪ね、写真部門のキュレーターに、スティーグリッツが撮った自分の写真について話をもちかけます。キュレーターは、そのポートレイトシリーズで写真展を開きたいと応じました。オキーフは即座に60歳近く年下の友人(そして最晩年、オキーフがその家で暮らした)フアン・ハミルトンに写真のセレクトの手伝いを頼みます。オキーフはプリント制作や本のデザインにも深く関わり、展覧会のために写真集を作り上げます。

オキーフの一般的なイメージといえば、非常に固い意志をもった強い女性で、画家としての現役生活が長く、エネルギッシュに98歳まで生きた人、といったところでしょうか。それは彼女の描くパワフルな絵にも現れています。そういう女性が、長い期間、夫の被写体となって、数多くの写真を残している。そして90歳近くになって、自ら進んで自分のポートレイト集を編むというのは、やや意外な気がしました。それは「被写体=受け身」という連想、あるいは「男は写真を撮り、女は撮られる」という固定観念からくるものなのか。

しかし被写体というのは実際は作品の「作り手」であり、写真に対して能動的なかかわりをもつ存在なのかもしれません。それは古屋誠一の妻、クリスティーネにも当てはまるように思います。(クリスティーネも表現者でした。放送局でドキュメンタリーを制作し、出産後は演劇にのめり込んでいました)

オキーフは21歳のときスティーグリッツと出会い、その少しあと(23歳のとき)、未来の夫となる人の被写体になっています。そして1917年、オキーフはスティーグリッツのギャラリー「291」で絵の個展をやり、それを見るため教師をしていたテキサスを離れ、ニューヨークに汽車で向います。そのときまたスティーグリッツはオキーフを撮ります。オキーフは『A Portrait』の中で次のように書いています。

テキサスに帰って2、3週間して、写真が届きました。自分の水彩画をバックにした2枚の顔のポートレイト、そして3枚の手の写真です。その素晴らしさに興奮して、写真を学校にもっていってクラスで見せました。みんなもびっくりして、信じがたいといった風でした。こんなものは今まで見たことがなかったわけです。

20世紀初頭、やっとカメラや写真が一般的なものになりつつあったことを考えると、1917年に自分を被写体にした、写真家の撮った美しいモノクローム写真は、オキーフにとって感動的だったのでしょう。オキーフは明らかにスティーグリッツの写真の被写体になることを喜んでいます。あるときオキーフのポートレイトを見たギャラリーの客数人が、自分の妻(あるいは恋人)をこんな風に撮ってくれないかと頼みます。するとスティーグリッツは次のように答えました。

こんな風に写真を撮るには、あなたの妻や恋人ととても近しい関係になる必要があります。

写真を撮る人と撮られる人の関係性の真意であり、シャッターを押せば済むというのではなく、文章で人間を深く描写するのと同じことが求められるというわけです。一方、オキーフはスティーグリッツについてこう書いています。

わたし以上にスティーグリッツの良いところ、悪いところを知ることができた人はいない。彼は(わたしに)愛され、同時に憎まれてもいた。その中間ではなくてね。

またスティーグリッツという人物について、次のようにも書いています。

まわりの者が彼に逆らったとき、それを打ち砕く彼の力は、何かを作ろうとするときと同じくらい破壊的な威力をもってました。どちらも極端なのです。わたしはそのどちらも経験したし、それを生き延びたのです。でもわたしが彼に逆らったのは、唯一、自分が生き残るためにだけだったと思います。

オキーフ写真集2

オキーフとスティーグリッツの(おそらく激しい)攻防の関係性は、古屋とクリスティーネにも当てはまるところがあるのでしょうか。(上の写真:『A Portrait』より)

日常写真の先駆者フォトグラファー
小林のりおという古屋誠一と同世代の写真家がいます。『FIRST LIGHT』という作品で木村伊兵衛写真賞を受賞した写真家です。小林は1990年代後半から、Digital Kitchenというタイトルで、キッチンにある様々なモノや食べもの、情景、料理をする妻など日常の風景を毎日撮って更新するプロジェクトを始めました。それはどこか、いまのインスタグラム投稿に通じるものがあります。現在もこのプロジェクトはつづいていて、そこに次のような文章がありました。(原文は英語)

このシリーズは日記ではない。わたしの実験的なプロジェクトである。

そうなんですね、写真の中身はインスタグラムによくあるショットのように見えて、でも意味が違う。もし日記なのであれば、途中から自サイトではなく、インスタグラムへの投稿に切り替えていたかもしれません。さらに次のように書いています。(同じく原文は英語)

当時(1997年)はまだ質的に充分ではなかったが、デジタルカメラとインターネットに大きな可能性を感じた。インターネットを使えば、誰もが自分の写真を世界中に配信することができる。わたしはコミュニケーション・ツールとしてではなく、仕事の表現形態としてこれを使うことにした。

撮るものは日常であったとしても、仕事の表現としてここに可能性を見ているということのようです。小林は毎朝、朝食時に写真を撮り、レタッチをしたのちに30分以内にサイトにあげているそう。美術館やギャラリーで展示するのとは別に、自サイトでこのように作品を発表することに意義を感じ、またそれを可能にするインターネットの世界を愛していると記しています。

今回小林のサイトで、デジタル・キッチン以外のコンテンツも見てみました。「風景の被膜」「Cluster of Dreams」と題された二つのコンテンツがありました。どちらも目次をクリックすると、ディスプレイいっぱいの新たなウィンドウが開き、そこに自動で写真が次々に現れます。小林はもともとランドスケープを撮る写真家だと思いますが、この二つのプロジェクトも、様々な日本の日常的な風景を撮っています。これはデジタル・キッチンとは少し違い、写真家の目というものを強く感じさせるものが多く、別の意味で見る者の目をおおいに楽しませ、豊かにしてくれます。また「Japanese Blue」というブルーシートのある日本の風景をテーマにしたプロジェクトがあり、それは1992年にギャラリーで発表して以来、2006年からはウェブ上でもスタートさせ現在に至っているようです。

インターネットを愛する小林のような写真家がいるおかげで、家にいながら過去のアーカイブも含め、更新しつづける新たな作品をたっぷりと、ぜいたくに鑑賞することができます。これも(必要に応じて、作品性を軽減することのできる)写真ならでは、という気がします。

共感のからっぽ風景
小林のりおのディスプレイいっぱいの写真プレゼンテーションを見ていて、思い出したことがあります。『The Great Empty』と題したニューヨーク・タイムズの写真特集です。2020年3月23日、コロナ禍にある世界中の都市を撮った写真が公開されました。それぞれの地域に住む写真家による作品です。

人影のないラッシュアワー時のロンドンの街角、空っぽのミュンヘンの地下鉄プラットフォーム、無観客のステージでオンライン・リサイタルをするモスクワの演奏家、ナイトライフで知られる北京の店で一人夕食を食べる男、サンタモニカの人のいないビーチ、ニューデリーの空っぽの遊園地、旅行者の姿が消えた羽田空港、、、

これらの写真を時差なくリアルタイムで見たときは、言葉にならない共感と哀しみが入り混じる奇妙な感覚に捉えられました。世界中の人々が同じような状態にあり、同じことを体験し、感じ、考えているいるときに、その現状を時を移さず写真が映し出し、世界中の人々が同じものを同時に見ていると感じる。といった不思議な共有感。グーグルのディスクリプションには次のように書かれていました。

パンデミック下、空っぽの街が広がる、そこにはある種の美しさがある。

過去の写真帳
最後に2002年に撮って本の形にまとめた自分の写真帳について。これはルリユール(手製本)の講座を受けたとき、中身として綴るはがきサイズの原稿素材が必要になり、デジカメで写真を撮りためたもの。わたしの選んだテーマは「影」。どういうきっかけでそうなったか覚えていませんが、次のような文章を書いています。

影がきれいな時間というのがあります。
たとえば朝の十時ごろ。(中略)東南からのやや低めの位置からの太陽光線が、裸枝を土の上で花ひらかせるように増幅しています。みごとな桜です。離れた位置にある向かい合う桜たちが、静かな砂地の上では頭を重ね、枝をからみあわせるようにしていることもあります。

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上の写真はその本の中ページから。スマホを手に晴れた日に道を歩けば、誰もが体験し見ることができる「映像」です。「撮る」ことによって初めて、目に見えてくるもの、気づくもの、それが影という存在です。以下は当時の感想(公園でゲートボールをする年配の男女について)。

そうか彼らには、コレが見えてないのだな、無視しようにもできないくらいこんなにもクッキリと大胆に何百号という大きさの絵を描いているのに、彼らには透明人間のように見えてないのだな。

わたしのスマホ写真から
もう一つ、誰もが自分のスマホで日々撮っているような写真を、最近のものから数点紹介します。何か面白いもの、風景、出来事をみつけたとき、手元にスマホがあればとりあえずシャッターを押す。他人が見れば、たいして面白くないものも、本人にとってはそれなりの想いがあったりするものです。

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フィルムカメラで撮ったもの
デジカメ後のことだったと思いますが、あるとき雑誌でCONTAX T2というカメラのことを知って、欲しくなって買ってしまったことがあります。コンパクトなんだけれど性能が高いというカメラで、実際に撮ってみて驚いたのは非常にクリアに撮れること。現像された写真は、目が洗われるような、という形容詞がぴったりはまる。住んでいる郊外の風景を撮ったときなど、ホンマタカシの写真か、と思ったほど。

これは写真を撮るのが楽しくなるぞ〜、という感じでしょっちゅう撮っていました。が、、、いまは、、、撮ってない。(また撮ろうかな)

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終わりに
人はなぜ写真を撮るのか、明確な答えが見えたわけではありませんが、写真でしか表せないもの、残せないもの、というのがあることはわかりました。印象を絵で描いて残す、という行為と少し違うのは、カメラという媒体が自分との間に入るせいで、すべてが思い通りにはいかないこと。そしてそれが面白さを生んでいること。スマホではディスプレイを見て撮るので誤差が小さい、そこがいいことでもあり、つまらないところでもあります。

オキーフ美術館のサイトを見ていたら、写真コレクションのところに、スティーグリッツをはじめとする写真家によるたくさんのモノクロ写真がありました。その中にはオキーフの撮った写真も何点かあり、またオキーフの妹や知り合い、誰が撮ったかわからないものも混じっていました。それで思ったのは、写真には匿名性がある、ということ。本質の部分にそれがあると気づきました。絵であれば、たとえ署名がなくとも、誰の作品か特定することは可能です。しかし写真は、、、

おそらくですが、専門の鑑定家であったとしても、バラバラに無作為に提示された未発表の写真を見て、どれが誰の作品と言い当てるのは難しいのでは? プロの撮ったもの、アマチュアの撮ったものを区別するのも簡単ではないかもしれません。

スマホ時代の写真が示すように、写真が誰のものにもなり得るのは、このような写真本来の性質と関係があるように思います。

写真に撮るとフィルムやデータなど記録として残る。と同時に、写真に撮ると、撮った人、撮られた人の記憶にも残る。その場のこととして通り過ぎ、忘れられてしまうことも、写真にするという行為によって、事実が2度認知され、記憶され、世界に定着されていくのかもしれません。

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