⑩告別式(出棺後)
※火葬の詳細な話があります。
一族みんな長生きなもので市の斎場に来たのは25年ぶりくらい。
昨年母方の伯母の葬儀で行った東京の斎場よりだいぶ年季がはいった建物だった。
到着したあと流れ作業的に扉の向こうに入れられそうになって、えっ?!と思ったら母がすかさず「最後に顔は見られないんですか?」といった。この人のこの図々しさというか遠慮のなさはほんとに素晴らしいところだと思う。私は多分言えない。言えなくてずっと後悔するタイプ。
係の人は内心面倒くさかったと思うけど見られますか?と言ってお顔の部分だけ開けてくれて、みんなで泣きながらありがとうありがとうと口々に最期のお別れをした。
あの扉が閉じたら、もう父の肉体には会えない。
父は扉の向こうに行ってしまった。
収骨までの間は待合室で過ごす。助六やらお菓子やら打ち合わせしておいたものが並ぶ。
助六をつまみながら久しぶりに会ういとこ達と近況を報告しあったり、父方親族が一人だけなので手持ち無沙汰気味の叔父に話しかけたりして過ごす。叔父はなんだかボーっとしていて昨日の多弁さが嘘みたいだった。
○○家様〜と放送が入る。きっと技術が進歩したんだろう、記憶にある時間よりかなり短かかった。
テーブルの上に大量に残った空いていないビールを夫が持ち帰ろうとするので、飲んだ分精算だから!!とストップをかけた。
父も大酒飲みだったがこういうせこさはなかったなあと内心父と夫を比べてため息をついた。父の豪快さを憎んで繊細な夫と結婚したのに今となれば父の頼もしさをもたない夫に苛つくことも多い。
呼ばれた部屋に入ると父は分類されて山積みになっていた。
東京の伯母のときはちゃんと人型で上がってきていて、今回もそうとばかり思っていたので軽く衝撃を受けた。
喉仏は思ったほど大きくなかった。父は演歌やシャンソンをいい声で歌うひとだったけど。
お骨拾いはペアでしなければならない。繊細な次男とまだ幼い末っ子は見えない位置にいさせる。お骨を前にして夫ができない…とのたまう。
あれ、結局わたし誰と拾ったんだっけ。思い出せない。冷静なつもりだったけど動揺してたか。
全員がやったあと残りは弟と手で拾った。なんか談笑しながら。親のお骨というのは少なくとも私は怖くもなく汚くもなく、お骨になってもお父さんだった。
最後の最後で夫が拾わなかったら後悔するからやっぱり拾いたいと言い出してほとんど残ってないなかからなんとか夫とペアで拾った。こういうとこなんだよ、夫。
帰りのマイクロバスで末っ子が言った。
「じいじは13番に連れて行かれた」
父の入った扉の番号は13番だったらしい。
祖父の死を、4歳も確実に感じていた。
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