線路は続く、どこまで続く
冒頭に
鳥取県は、日本一美しいと言われる廃線跡(※1)を有している。
その名も「旧国鉄 倉吉(くらよし)線 泰久寺(たいきゅうじ) 廃線跡」だ。
この泰久寺廃線跡は、以前に俳優の六角精児(ろっかく せいじ)さんが番組で紹介されたとのことで、世間ではにわかに隠れ有名観光地となっている。
私は幼少期からこの地域に暮らしておりながら、恥ずかしながら先日友人に教えてもらうまで、この廃線跡のことを知らなかったのである。
この記事は、廃線跡について書いてほしいというその友人のリクエストを受け、私の廃線跡へのリスペクトも織り交ぜて書いたものである。
泰久寺廃線跡に関しては、調べたらゴマンと情報は出てくる。
そのため、詳しく知りたい方は調べていただくとして、このレポはあくまで私が実際に歩き、疑問点を観光案内所の方に聞きながら書いたという「ローカル」な内容になっている。
そして、写真をふんだんに使っているので読むと夏の終わりの廃線跡を歩いたかのように感じられる内容になっている。
読んで、行ってみたいと思われた方はぜひ行ってみてほしい。
まず、ざっと廃線跡について紹介するが、私自身こうした説明は読み飛ばしてしまう方だ。そのため端的に伝えようと思う。
詳しく知りたい方は記事の最後に載せてあるURLにアクセスしてみてほしい。(※2)
旧国鉄倉吉線のおおまかな歴史
◉旧国鉄倉吉(くらよし)線
・1912年(明治45年)に開始。なんとタイタニック号が沈没した年だそう!
・計9駅あった。……倉吉(くらよし)駅→上灘(うわなだ)駅→打吹(うつぶき)駅→西倉吉(にしくらよし)駅→小鴨(おがも)駅→上小鴨(かみおがも)駅→関金(せきがね)駅→泰久寺(たいきゅうじ)駅→山守(やまもり)駅。
・近隣住民の方が教えてくれたのだが、当時は日中2回、夕方1回の計1日3回の運行で、主に通勤や通学で使用する人が多かったとのこと。
・自動車の普及に勝てず、1985年(昭和60年)に閉鎖。72年の歴史だった。私の父は今年65歳になるが、父が子どもの時はまだ倉吉線は走っていて、大学の頃に廃線になったのを覚えているとのことだった。
・現在、このレポにある泰久寺(たいきゅうじ)駅以外にも、各駅周辺にはレールやホームが残っていてトレッキングコースとして利用されている。
以上がざっとした説明だ。
さて、アウトドア派の私は、すでに動きたくて足がうずうずしているので、早速廃線跡を巡る旅に出発したいと思う。
このレポは写真を主とし、ところどころ質問を入れている構成になっている。
廃線レポ
線路と戦争の謎
ー戦争中も倉吉線はあったと思いますが、線路の鉄は戦争で持って行かれなかったのでしょうか?
「当時を知る人がもういないので分かりませんが、せっかく作ったものを剥がして持って行くのはもったいなかったのではないでしょうか……」
……とのことだった。確かに仰る通りだ。のっけから変な質問をしてしまった。
無くなった線路の謎
ー急に平になっているところは、土を削ったのですか?それとも当時も下降するようになっていたのですか?
「これはね!当時ボックス(線路の下の短いトンネルのようなもの。人や車が通れるようになっている)があったんです。廃線になったら車が間違って通ったりして危なかったから、線路自体を土ごと取ってしまったです」
ーそうなんですね。ちなみに草刈りをしている男性を見かけたのですが、ボランティアでされているのですか?
「草刈りは、地域の人がボランティアでしているか、観光協会が外部に委託してしている時もありますね。私たち(観光案内所)もイベントの前などはすることもありました」
カブトクワガタの謎
ー途中になんだか白い物入のようなものが置いてありますよね。あれは何ですか?
「あれはね、無人販売所なんです。今でも農家が野菜を売ったりしています」
ーカブトクワガタって書いてあるのは……
「前にカブトクワガタを売っていたんだよね!」
……疑問が綺麗に解決した。
曲がった線路の謎
ー線路はなぜ曲がっているのですか?
「当時踏切があったんです。廃線になった後に踏み切りも廃止され、道を作るのに邪魔になったので住民が曲げたんです」
……この曲がった線路に関しては、友人知人家族の中でも分岐線という意見が主流だったので、踏切とは意外だった!
大久寺(たいきゅうじ)の謎
ー線路沿いに大きなお寺がありますが、大久寺が駅名にもなっている泰久寺なのですか?
「それは考えたことがなかったなあ……大久寺も昔からありますし、泰久寺も昔からある地名です。それは分かりませんね」
……気になるがこの謎は後日に続く、だ。
当時の住民の声の謎
ー当時からこんなに線路と民家は近かったのですか?また、住民の人は電車が近くを走ってうるさくなかったのでしょうか?
「当時からこの距離でしたね。うるさくなかったかについては、当時のダイヤが始発が6時台、終電が夕方だったりして起きている時間帯だったのでそうした声も上がらなかったのではないでしょうか。また、電車自体も時速20~30㎞ほどだったので、音もうるさくなかったと思いますよ!」
ーそうなんですね!時速が20~30㎞というのは驚きです。
「そう。当時坂が登らなくてね笑 一度下がってもう一度登ったりしていました笑」
トロッコの謎
ーちなみに線路をトロッコにするという案はあるのですか?
「実はね、その話はあったんです。ただトロッコを動かすのであれば線路を敷き直すようになるんです。さらに線路の維持管理も必要で、計画にはあったのですが現実的ではないなとなりました」
……トロッコにしてもこんな田舎には来ないだろうと高をくくっていたが、計画があったとは。驚きだった。
居直りカエルの謎
ー蛙の像は、なぜあるのですか?
「あれはね。土地改良区なんですよ。土地改良区って言ったら、その土地を改良するための団体ですね。当時田んぼに水を引くためにあれを作ったんです。その時ついでにカエルにしちゃおうかって。20〜30年前の話なので、廃線とは関係のない話ですね」
お地蔵さんの石の帽子の謎
ーお地蔵さんは、なぜ石の傘を被っているのですか?
「それは分からないですね……大久寺に聞いたら分かるかもしれません」
……ということで大久寺まで行ってみたのだがあいにく住職が不在で聞くことができなかった。泰久寺の駅名の謎と合わせて取り置きである。
ガチャガチャの謎
ーガチャガチャはなぜ置くことになったのですか?
「あれは2年前くらいから置いているんです。ちょっと置いてみたら人気がでちゃって。それから常設してますね。中身は観光案内所が補充しています」
線路に使っている木材の謎
ー線路に使用されている木は栗と聞いたことがあるのですが、そうなのですか?
「恐らく栗じゃないかと思います。それにしてもよく持ちますよね。今は普通の防虫剤を使っていますが、昔はアスファルトやコールタールを入れていました。なので暑い日はアスファルトが溶けてベタベタしていました笑」
竹林を手入れしている人の謎
ー竹林は誰が手入れしているのですか?
「今は近所の人の好意で手入れしています。けど、電車が走っている当時は竹林ではなく、廃線になってからここ30年で急に竹が生えたんです」
……観光案内所の中に当時の風景を撮っている動画があるのだが、確かに当時は竹がなくスッキリした線路だった。
普段歩くことができるのはここまでである。
以上が私の廃線跡レポである。
終わりに
約30分間歩くうちに、民家があり、田んぼがあり、そして竹林があり、森がある。
時代の流れを身をもって体験しているようで、ここに一度来ると虜になってしまう。
現に私は今年の5月に初めて行って以来、地元に来た友人たちを軒並み案内している。
そうしてせっせと廃線跡のファンを増やしているのである。
あなたも是非、この竹林の中にある幻想的な廃線跡をじかに体験し、ファンになりに来てほしい。
人気も少ないし、いいデートスポットになることも間違いなし!
是非来て、自然を楽しんでください。
ご協力くださった案内所の方に感謝を申し上げます。
ありがとうございました!
【終わり】
※1:廃線跡(はいせんあと)」とは、廃止された鉄道の跡地のことである。
※2:旧国鉄倉吉線廃線跡 - 倉吉観光情報 (kurayoshi-kankou.jp)
旧国鉄倉吉線廃線跡 せきがね案内所公式ホームページ (sekigane.com)