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巻き戻る時間と母娘の思いと涙と時計
部屋で探し物をしていたら棚の奥からふと腕時計が出てきた。
華奢なピンクの時計で秒針は止まっていた。
こんな時計持っていたかな……? いつ買ったんだろう。
怪訝に思いながらしげしげと時計を眺める。
それでも分からず裏返してみた。
そこにはこう書いてあった。
「Wicca SOLAR -TECH」
その文字を見た瞬間、ぶわぁ~っと記憶が巻き戻ってきた。
これは、約10年前に私が新社会人になった時に母がプレゼントしてくれた時計だった。
私の母は厳しく、一般的に見て母親らしい母親ではなかった。
人付き合いが苦手だったのか人と目は合わせず、どっちかというと突っぱねるような関わりをする人だった。
学校であった楽しかったことなどを話したく母に話しかけると
「それって面白いの?」
と真顔で言われたり、
2つ上の兄と比べられて
「お兄ちゃんは天才。あんたは平凡」
と言われたりして、恐らくそれが原因で私は自尊心の低い人間に育った。
大人になって自分を見つめ直す機会もあり
そうした関係性を修復しようと思い「話がしたい」と頼んだが、
それに対する母の返答はこうだった。
「私は悪い母親だったから話をしたくない」
そう言って、結局お互いを知り合うような話をすることはなかった。
そして、3年前の春に60歳にして癌の全身転移で亡くなっていった。
生きている時も好かれているとは思っていなかったし、
亡くなってからも思い返すのは厳しいことを言われた思い出ばかりで
誰にどう言われても到底愛されていたとは思えなかった。
しかし、10年の時を経てこの時計を見た時、その場に戻ったかのように思い出される情景や思いがあった。
あの時、母は
「はい、これ就職祝いのプレゼント」
などと言ってこの時計を渡してくれたのだと思う。
確か灰色っぽいケースに入っていた。
当時ピアスを集めるのに熱心だった私は、そのケースを見てピアスかと思って胸が躍った。
しかしいざ開けると、そこには細くて華奢なピンクの腕時計があった。
ピアスだと思っていた私のテンションは正直、だだ下がりした。
ピンクなんて好きじゃないし。
こんな女の子らしいの私の趣味じゃないし。
「もっとセンスいいものちょうだいよ」
その反応を見た母はどう思っただろうか。
今だったら分かる。
これは母からの新社会になる私への「社会人頑張れよ」というエールだったのだと思う。
高かっただろうに、電池を替えなくてもいいように陽の光に当てたら動くソーラー電池にして。
女の子らしくなるようにか、ピンクの可愛い時計を選んで。
私はそんな母の思いも汲まず、センスがないプレゼントだと思って文句を付けた。
その母の思いと当時の自分を思い出した時に、涙が止まらなかった。
母は恐らく、私ともっと女の子らしいことがしたかった。
思い返すと中学生の時も高校生の時も
「ゆきちゃんは彼氏作らないの?」
と言っていたし、私と買い物をする時も楽しそうだった。
たぶんもっと買い物をしたり恋バナとかしたかったんじゃないかと思う。
それを「嫌われている」と思って遠ざけていたのは私だった。
母さん、私も恋バナしたかったよ。恋愛の相談とかもしたかったよ。
もっと触れ合いたかったし、女同士の話もしたかったよ。
大いに泣いて、その夜は腕時計を付けたまま寝た。
翌日、止まっていた時計を暫く太陽光に当てていると
見事に10年の時を経て秒針は動き出した。
今も無事に動いている。
あの時はお礼を言うこともできなかったけど、母さんありがとう。
私はここからこの時計と一緒に頑張っていくよ。
一緒に頑張っていくから、見守っててね。
ありがとうね。
この言葉を天にいる母に送り、地上に残った私はまだもう少し頑張ろうと思う。
【終わり】