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【エッセイ】忘れる日々の手記

鼻先にREPLICAをひと吹きする。
十分には液体を含まない管から、やる気なく香りの粒がとんだ。
それぞれが花火の散り際のように机やパジャマや床に降りていく。

香りは記憶を呼び起こすというけれど、とくに何も感じない。
これは私の香り。
いつかDiorのソバージュの香りとすれ違ったら、私は立ち止まって振り返るのだろうか。
かすかに共有した日常の燃え殻には、もう火がつかないことを悟るのだろうか。

時が経って忘れるころには、忘れようとしていたことさえ忘れていく。
まるであの日の延長線上にあらかじめ今日が存在しているみたいに、今の私が正当化されていく。退屈で平穏な日々が、素知らぬ顔で過ぎていく。

すべてが消える前に、ひとつの写真として残しておきたい衝動に駆られる。
実際にシャッターを押すのではない。心のなかから映像を取り出して、一枚の手がかりだけを残す、ひどく抽象的な試みである。

ザクロ。なんの脈絡もなさそうなところから、被写体を取り出す。
これでいい。記憶の引き出しに貼るラベルにはお誂え向きだと思った。
割ったときにこぼれる赤々と輝く粒には、思い出がよく仕舞えそうである。
潰したときに飛び散る汁の不浄とした感じも、よく似合いそうな気がした。

舌の上で不快な香りが味覚を汚す。
REPLICAの不味くて鼻にだけ甘い香りが、抗うように残りづづけている。



息子がグレて「こんな家、出てってやるよババァ」と言ったあと、「何言ってもいいが大学にだけは行っておけ」と送り出し、旅立つその日に「これ持っていけ」と渡します。