どうしても考えてしまうこと
母親が自死するなんて
全てが予想外で、
本人がにわかに出していたかもしれない
サインにも気づいてあげられなかった…
とやはり思ってしまいます。
私が結婚し
上の子を出産するタイミングから
両親とは実家で同居することになり、
今年で4年目。
母とは毎日顔を合わせて
会話をしていたにも関わらず、
私はその予兆すら感じませんでした。
本人は隠していただろうから
それが当たり前なのかもしれませんが、
家族全員にとって
本当に「まさか」でした。
私はなんて鈍感な娘なのか。
血を分けた唯一の分身のような娘でありながら
一番近くにいる母親の気持ちに
寄り添えなかった。
思い返せば
些細な違和感は沢山あるんです。
あれもこれも、
死ぬことを考えていたからだったのか…と、
まるで答え合わせをしているかのような。
それでもそんなことを考えているなんて、
何一つ察してあげられなかった。
母が亡くなって以降、
意識していないと
どうしても頭に浮かんできてしまうことが、
やっぱりそういった後悔の類。
「あの時ああすればよかった」
は、無限にあります。
でも、
それをどれだけ考えても、
タイムスリップしてやり直すことはできないし、
母は生き返らないし、
自分を責めて悲しくなるだけ。
自分の感情を理解して向き合って
十分悲しむことも大切ですが、
そのあと前に進むためには、
「その時はその時なりに、
私なりに考えて接していた。」
と考えるしかないのです。
そしてもう一つ考えてしまうことは、
母が命を絶った
"その瞬間"のこと。
どういう気持ちだったのだろう、
痛かっただろう苦しかっただろう、
寂しかったよね、辛かったよね、
これで楽になれたんだろうか…
私には勇気があるとしか思えないけど
きっと勇気を振り絞ってとか
そういうことじゃないんだろう…
最期に食べたものは?
見たものは?
聴いた音は?
触れたものは?
…母本人にしか分からない
これらのことを
やはり考えてしまいます。
考えてしまう時というのは
大体1人の時で、
疲れが溜まった日の寝る前や
周りが暗い場所や
母の写真を見た時など。
これは亡くなってすぐの数ヶ月間よりは
今の方が頻度も減っているので
時間が解決してくれること
なのかもしれませんが…
そうは言ってもなかなか消化しにくいことです。
捉え方としては、
母がそうしたくてしたことで、
母の選択。それを尊重しよう。
もうそんなふうに割り切って、
私は毎日笑顔で過ごすのみ…
それが母の望むことだろうと思っています。